私がニューヨークの某有名ダンススクールに入学したのは20年以上前です。その時私は、既に27歳。それまでプロのダンサーになるレッスンをして来なかったので、床に座って横に足が開かないわけです。その状態で、腰が真っ直ぐ立ったりなんて、もう持っての他。他の生徒たちは、もっとずうっと若くて、しかも本格的なバレエのトレーニングを3歳くらいから受けてきているんですよ。
「ああ、私何しにニューヨークに来たんだろう?」って、恥ずかしいやら悲しいやら。荷物をまとめて、さっさと日本に帰ろうかと真剣に悩みましたよ。
でもねえ、ニューヨークに来るために3年間一生懸命働いて貯金を貯めて来たわけですよ。そんな簡単に諦めるわけには行きません。
っで、無我夢中で頑張りました。このダンス・スクールは、その当時世界でもトップを誇るモダンダンスのカンパニーのプロのダンサー養成学校ですから、そのレッスンは、その当時とっても厳しかったんです。それはもう先生が意地悪に見えるくらいでした。
アドヴァンスのクラスルームからは、毎日のように泣き喚きながら飛び出してきて、トイレに逃げ込む子が絶えませんでした。
でも不思議なのは、そういう得に厳しい先生方のクラスはいつも入りきれないほどいっぱいでしたよ。その頃の生徒達は、最近の腑抜け人間に比べて、肝が据わってましたよ。トイレで気分が落ち着くと、またそのクラスに戻って何事もなかったかのように、レッスンに戻るんです。
私も怒鳴られたり叱られたり、何度も恥ずかしい悔しい思いをしました。
ある日、得にアジア人の生徒達に不評の先生に、「牧子、2日続けて同じ注意を受けたわよねえ。ダンサーになりたい人は、ニューヨークには五万といるのよ。そんな時間の無駄をしていて、貴方は何時ダンサーになるの?」と全生徒の前で叱られたんです。
一瞬私は全てが止まったように感じましたよ。それくらい悔しかったんですねえ。
でも、家に帰ってから、「彼女のいう事は、正しい!」と思ったんです。そしてそれ以来、注意された事は必ず一発で正すように、気を入れなおしました。そのお陰で、私のダンスのテクニックは、物凄い速さで伸びていきました。自分でも、驚きました。
その先生は、私がアドヴァンス・クラスへ上がるテストの時にも、「貴方は、まだアドヴァンスじゃあないわ。」と、下のクラスに戻した唯一の審査員でもあります。
私も他のアジア人の生徒達と同調して、彼女を人種差別主義者呼ばわりして、クラスをボイコットしていたら、その後どうなっていたでしょう?
今では、大勢の前で何度も私に恥をかかしたその先生に、とても感謝をしています。
彼女の愛の鞭がなかったら、30歳代に入った私のダンサーとしての初仕事がそんな世界トップのカンパニーでのパフォーマンスという、大それた経験にはならなかったでしょう。
その当時1990年あたりのこのダンス・スクールの多くの先生が、彼女のように優しい強さを持った厳しく素晴らしい人間達でした。世界の舞台に立っても恥ずかしくないダンサーを育てるには、恥をかく事から自分を学び、出来るだけエゴを捨て去る事がどんなに大切か知っていたのだと思います。
その当時の、毎日クラスに出て自分の弱さをさらけ出し、その弱さと言い訳をしたがる自分のエゴに直面しなければならなかった恐怖は、今では楽しい素晴らしい思い出になりました。何故ならそういう経験があったからこそ、お金も英語も知り合いも、何も持っていなかった小娘が、ニューヨークで一人で会社を起こし、素敵な旦那と結婚し、こんな素晴らしい人生を歩めるようにはならなかったでしょう。
ダンサーになるまでの道が私に教えてくれた大切な事は、皆さんに御紹介しきれないほど沢山あります。決断力、行動力、判断力、そして忍耐力と、自分という人間追求への真摯な姿勢を、レベルの差こそあれ若いうちにしっかり学ぶ事が、皆さんの幸せな人生に必要である事はあきらかです。
残念ながらもう亡くなってしまったパール・ラング(彼女の名誉のために、実名を使います。)は、一番アドヴァンスのクラスを何年も担当していました。彼女は時どき、「お前は、私のクラスにいる資格はない!ビギナーのクラスにもどれ~。」と、自分の厳しさについて来れない弱小者のダンサーを追い出していましたよ。もうその当時70歳代だったと思いますが、凛として素敵なおばあちゃんでした。
彼女に注意されるという事は、ダンサーとして見込みが在ると言うサインでした。ですから皆どんなに厳しいお叱りでも、感謝して受けていました。
どんなお教室でもそうだと思いますが、見込みのない生徒に忠告したり叱ったりなどと言う面倒くさい事は、先生方はしない物です。
「プライドが高い=エゴの壁が厚い」という事です。そういう人は自分の弱さに勝てません。自分の弱さに勝てない人がする典型的な行為は、自分に都合の悪い事は全部誰かのせいにする事です。本当に悪い癖です。
現代人の間違いは、恥をかいちゃいけない、恥をかかしちゃいけないと思っていることです。何故なら、恥=エゴ(人生に対する、そして自分の真実に対する恐怖感)だからです。
もし皆さんが恥じもかかずに上手くやろうなんて、姑息な事を密かに考えているような小心者なのだとしたら、先ず気持ちを入れ替え、多いに恥をかいて精神を鍛え直す事です。
それが嫌なら、これまでの自分にどんなに納得がいかなくても、絶対に恥をかかないように借りてきた猫のようにひっそりと社会の片隅で我慢するんですね。
それこそFacebookのLikeマークを集める競争が流行っているそうですが、という事はやっぱり何処かで自分は凄いんだ、スペシャルなんだと主張したいわけですよ。でも、恥をかかないように、そんな姑息なやり方でしか自分の人生を満足させられないのだとしたら、自分の居場所を見つけられないのだとしたら、悲しくないですか?
そういった恥をかくような場に放り込まれてドギマギする時、私は自分が成長したい自分に、確実に近くなる手ごたえを感じます。その手ごたえが、感動と生きがいを私の心にくれるのです。それは私にとって、アドヴェンチャラスでエキサイティングな経験なのです。