からだと心と魂のつながり「真我を開くセルフヒーリングへの道」マキコ・メソッド(7)
自分=愛・自分を癒せるのは自分しかいない(2)
母方の祖母のアルツハイマー病、父方の祖父母のがん、父の長患いだった肺線維症と、どうしてみんなそろって病気にならないと死んじゃあいけないのかしら? というくらい病気がまん延する世の中で、完全に健康な大人がとっても少ないことに気が付いて、それがあまりにも不思議だった私は、病気になるのが怖くて健康オタクになってしまいました。そのおかげで、「100%健康で幸せな人生」は全人類の権利なのだ!と分かりました。
権利というのは主張しないともらえないのがこの世のルール。ひな鳥のように口を開けてピーチクパーチク文句を言っていれば、親が運んできてくれるようなものではないということです。また、それに伴う制約と義務というものが必ず付いてきます。例えば、有給休暇は権利として存在しても、何日から何日まで利用したいとルールに従った一応のお断りをしないともらえないし、さらに休暇中に他の社員に迷惑がかからないようにそれなりに仕事を整理しておかなければならない義務とマナーが必ずくっついてきます。
「100%健康で幸せな人生」も権利ではあっても、そのアプリケーションのルールを守らないと得ることができないわけです。では、「100%健康で幸せな人生」の権利を勝ちうるためには、何をどうすれば良いのか? と考えました。そこで興味を持ったのが「愛」。「愛」と「健康」と「幸せ」が切っても切れない関係にあることは、多くの皆さんが大昔から主張されていますから、自然と「へえ〜、そうなんだ」と納得したわけです。でも、それぞれに深く複雑な三つの課題を一緒くたにしては理解できないので、一つずつ順番にお勉強していきました。
まず「愛」が何なのか分からないと、次にどう手を打ったら良いか分かりません。それで愛のお手本であるとされている神様を見上げるわけですが、実際、神様は何もしてくれません。多くの人が「苦しい時の神頼み」をしますが、神様が問題を解決してくれるわけではなく、自身の持てる最大限の火事場のばか力を振り絞って困難を切り抜けなければなりません。それがどのような結果に終わろうとも、人生における新たな問題を自分自身の力で解いた瞬間、私たちは自分の新たな能力に気づき、さらなる人生の問題に向かう知恵と勇気と自信を生み出すわけです。これが本人が出来うる最高のヒーリングであり、それは人間性の成長そのものなのだと思います。
もし、神様や親や他の誰かが解決してくれてしまったら、その人は自分の人間性を成長(向上)させる機会を失ってしまうことになるのです。ということは、欲しいものを与えてしまうのは愛とは呼ばないということは明確です。悩みに悩んで、いろいろ試してみて落ち着いたのは「愛」とは「その人がその人であることをサポートすること」であるということ。このサポートがどういうことかというと、基本的に「ごちゃごちゃ言ったりやったりしてあげない」ことなのです。往々にして、この「サポートすること」は、「ただ、見守る」ことなのでした。
そして、「愛を持って見守る」には、グラウンディングした姿勢でその場に存在しなければななりません。グラウンディングした体の姿勢は、「理性的な姿勢(態度)」です。さまざまな問題を抱えるクライアントたちとお付き合いさせていただく中で、私も毎回自分の足元を確認しなければなりません。それで分かったのは、グラウンディングがうまくできない、つまり腹の底から感情的な姿勢がムクムクと湧き上がってしまう理由が、相手の言動にあるのではなく、基本的に食事と睡眠の質、つまり生活習慣にあることに気が付いたのです。でも、この世の多くの人々の心身の病気や悩みの原因が、単に食事と睡眠の質だと言われても、「はい、そうですか」と受け入れることができる人は、あまりいらっしゃらないと思いますので、食事と睡眠の質に到達するまでの、私が通ってきた道についてお話してみたいと思います。
クライアントたちが持ってくるさまざまな心身の健康の問題は、未消化の感情の問題と密接な関係にあります。そのほとんどが対人関係であることは言うまでもないと思いますが、彼らの問題を作り出しているエゴ(こだわり、または思い込み)を整理すると「良いか悪いか」「勝ちか負けか」「得か損か」「正しいか、正しくないか」のこの四つに尽きるのです。この四つも、結局最後は「勝ちか負けか」のくくりに落ち着くと思います。また彼らの主張の先には「愛してほしい」というのがあるのです。「愛をもらえたら勝ちで、もらえなければ負け」「愛をあげて受け取ってもらえれば勝ちで、拒絶されたら負け」なのです。また、「勝ちなら愛されるに値し、負けだと値しない」という考えのパターンもあります。こういった負の思考パターンに陥っている人は、その場での理性的な判断ができません。彼らに賛同しない、あるいは明らかに反対の意見に触れた途端「闘争か逃走か」の反応を起こし、彼らのその場における言動のターゲットが自分を勝たせること、つまり相手を負かすことになってしまいます。ここでどうあがいても勝ち目がないとなると、残酷な言葉や、それこそ理不尽なことを言って相手を傷つけようとします。いかがでしょう? 皆さんにも経験がありませんか?