Q&A〉恵まれた生活に感謝できない自分を許せない
今号からこのコラムでは、筆者が読者からの健康や美容に関する質問に答える「Q&A」形式で答えていきます。
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Q 主人が働いているのでお金も不自由なく、生活に困ることはないのですが、なぜか私の中で満足していません。とても恵まれた生活に心から感謝できない自分を許せません。
A この質問文から感じられるのは、あなたの人生において三つのテーマが表面化してきているということです。その三つとは、「満足」「感謝」「許す」です。あなたの人間としての成長が、これらの三つの問題を解決せずには前進できないところに来ているということです。
人生の意義、そしてあなた自身の存在意義をご存じでしょうか? 人生とは、自己を追求するために、全ての人に平等に与えられた生誕から死までの道のりです。そしてそれは、より質の高い人間性へのチャレンジなのです。また、人生は学校のような仕組みになっています。小学校1年生の時に学ぶべきことを学びきらないと、2年生になって苦労するでしょう。何とか自分を誤魔化して取りあえず高学年に上がれたとしても、いよいよ小学校過程も終わりが近付くころには、それまで自分の中でしっかり理解できていなかった問題が、無視できないほど明確に、急に浮上するというケースは間々あります。人生もそれと同じで、あなたも今に至るまでこれら三つの問題に全く気が付かなかったわけではないのだと思います。ただ、ここにきてあなたの人生の大変化の直前にいるのではないでしょうか? これ以上、自分を誤魔化しながら先へは進めないステージに立たされている。そんな感じだと思います。だから、あなたは自分の人生に不満足で、感謝できずに、そしてそんな自分を許すことができないでいるのです。でも、この自分を許せないという思いは、あなたのさらに高次元のステージへと踏み出すには必要不可欠な感情なのです。現状を許せないという気持ちが、より良い自分に到達するためのモチベーションであるのですから、当然ですよね。そして、それはあなたが死ぬまでに達成しなければならないゴールがあるからなのです。より高度な人間性、質の高い人間性に達さなければならない理由があるのでしょう。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。あなたのように、人生という道の途中で立ち往生している自分を素直に受け入れて、その原因と解決方法を探求しようとする行為は、相当な勇気がなければできません。悩んでいる自分を受け入れることができるという特別な能力を持つ人間として、誇りに思うべきです。
悩まない人間は成長しませんし、前進できません。悩むことを避けたり、悩んでいる自分を無視したりすることは、決して良いことではありません。いつでもどこでもハッピーでなければならないような間違った風潮が続いていますが、それは自分の内なる不安に目を向ける勇気のない人間たちが増えてしまったからです。自分の悩みを認識し、解決すべく原因追究できないような人間は、他人の悩みを察することができません。つまり愛あれる心豊かな人間にはならないということです。悩みというのは成長痛ですので、それを避けていたのでは、良い大人にはなれません。心の成長を求める人間であれば、悩むという状態に陥るのは自然なことなのです。
自分への興味が、愛あれる心豊かな大人に成長するための第一歩
恋をした時のことを思い出してください。まず、お相手の存在に気付く、そして気になり始める、その人を見るたびに、あるいは思うたびに心がときめくようになる。こういった心身の変化を伴う、心の中でのお相手の存在の認識みたいなものが恋ですよね。そして恋はやがて愛に育っていく。もちろん、うまくいけばの話ですが。いかがでしょう? ご自分の存在を認識するとき、ご自分に恋をしているようなワクワク感を感じますか? 例え、もし、あなたが非常に強欲だったとしても、お相手の看板(職業、学歴 などの社会的ステータスやルックスなど)から、あなたの恋はスタートしませんよね? そのお相手の人となりを何となく感じ取ってしばらくドキドキワクワクを楽しんでから、損得勘定に入るのが普通だと思います。あなたは、ご自分の人間性に興味を持って生きていますか? あなたは自分の人間性に恋をしている? あるいはしたことがありますか? まず、自分に興味を持たなければ、恋をしなければ、ご自分への愛を育むことはできませんよね。ご自分を愛せなければ、自分の人生に不満足で、感謝できずに、そしてそんな自分を許すことができないのは当たり前でしょう。
「感謝」する自分を体験すると、どうなるか
あなたは心の奥底から「ありがとう」というと、体がどうなるかご存知ですか? これを知覚できる人は、かなりのアドバンスド・ソウルです。わたしもその昔、今のあなたと同じように、自分の恵まれた人生に感謝できていませんでした。
その当時、ブライアン・ワイス博士著の『Many Masters , Many Lives』を読んで、そんな世界があるんだと、私も目に見えない世界に興味津々で、いわゆるスピリチュアル系の講習会やらセッションやらに、はまりにはまっていました。ある種の退行療法(催眠療法ではない)のワークショップで、自分が神様を信じていないことに気付いてしまったのです。「罰が当たる」とか、「苦しい時の神頼み」とか、「神様は、お見通し」とか、まだまだいろいろありますが、いわゆる神道的な言葉に囲まれて育った日本人なら、まさか自分が神様を信じていないなんて、夢にも思っていないと思います。いえ、神の存在は信じているのですが、人を信頼しないみたいに神様を信頼していない自分に気がついたわけです。何だかとっても悪いことをしているような気がして、非常にショックでした。
退行療法中の過去生で、どう考えても神様でなければどうにもならないような窮地に立たされた自分を救うために、エゴの壁を越えて「神様、助けて〜!」と一心不乱に叫ぶことのできない自分がいるのを見てしまったのです。こういった態度は、自分も他人も信用できない頼れない人たちに、よくあるパターンです。こういう人たちは、常に体が緊張し、不安な気持ちを心の奥底に潜ませています。私もその当時は、そうでした。この言葉を言おうとすると喉と胸が、キュキュキュっと締まってしまいます。つまり、体が拒否してしまうのです。何度も練習して、ある時突然、声が出ました。まるでなかなか抜けなくて、奮闘の末、ポーンと勢いよく音がして飛び出すシャンペンのコルクのような感じでした。「神様、助けて」が言えるようになった後、その次に来る課題が「神様、ありがとう」です。つまり神に感謝するということ。それこそ、まるで学校でお勉強する課題がだんだん難しくなっていくような、あんな感じです。「助けて〜!」の時以上に難航しました。特訓の末「神様、ありがとう!!!」がスポーンと口から出た瞬間、体中の全ての細胞がまるでオセロゲームで、相手に負けてゲーム板全体が敵方の色一色に、タッタタッタとドミノ倒し式に変わっていくように、何かが体中を駆け巡ったんですよ。それまで、凍りついていたエネルギーが一瞬にして溶けたかのような、細胞の表面に突然、電流が走ったかのような、ものすごい解放感でした。自分が発した「ありがとう」が、自分の心の奥まで響き渡ったのを感じました。もしこれが本当に「ありがとう」を表現するということであったなら、それまで「ありがとう」という言葉を言う時に、本当には感謝の気持ちを表現できていなかったのかもしれないと反省しました。
表現というのは体現でなければ意味がありません。口だけ、言葉だけで、あなたの思いを、愛する相手に伝えることはできません。それ以来「ありがとう」と感謝の気持ちを表すと体全体に電流が走って感動できるようになりました。要するに「ありがとう」というたびに、うれしい気持ちで満たされた自分がそこに存在するようになるのです。あなたもこの感謝の真の表現(これを体現という)を学んでみるところから始めると良いと思います。