あなたは明日死んでも、後悔しないか?
牧子さんは、「自信がある」「勇気がある」「元気がある」…などと、よく褒められるのですが、実は私は臆病ものですし、結構自信がないんです。何が一番怖いかって、後悔する事です。ましてや、死ぬ間際に「ああすれば、良かった」、「こうすれば、良かった」と、ブツクサ文句を言いながら、この世に未練を残しながら死ぬのは絶対に嫌なんです。事故かなんかで、一瞬にしてあの世に行かれるならいいんですけど、病気などで動けなくなって、もし数カ月から数年苦しむ事になったりしたら、もう絶対に自分を許せないと思います。
後悔しながら生きるって、とってもエネルギー使うと思いますよ。イメージできますか? 自由の自の字もない生き方だと思いますよ。そんな事、私には出来ません。考えただけでも恐ろしい…、くわばら、くわばら…。
後悔しないように生きるという事を目指し始めたのが、いつごろだったかよく覚えていません。でも今から思うと、父がある時から、そんな雰囲気の中に生きていたのだと分かります。後悔し始める前の自信満々の彼が、ある病気を境に、別のエネルギーに包まれてしまったのです。その当時の若い私にとって、そんな彼は突然現れた別人でした。
病気と後悔が、いかにそれまでの楽しくて幸せな人生を一瞬にして変えてしまう影響力があるかを、このときに学んだのだと思います。
ナイン・イレブン
2001年9月11日(火)の朝、クライアントの電話でたたき起こされました。その当時、私はピラティス・エクササイズを教えていたんですが、その日は午後からのアポイントメントで、彼女の電話で起こされたのは、もう午前11時に近かったと思います。
「牧子、こんな日だから、当然セッションはないわよねえ?」
「こんな日?って、どんな日?」などと、何も知らない私は呑気に答えました。
「あんた今起きたの? 早く目を覚まして、テレビを見なさい!」と彼女に一喝されてテレビをつけると、どこだかよく知らない風景が映し出されています。マンハッタンを南から撮っているのですが、いつも一番初めに目につくはずのツインタワーがないので、どこか知らないところの話かと思ったのです。
それで、彼女の剣幕と起こった事件が、ピタッと意味をなすまで何とも不思議な感じでした。その当時の私の英語力は、テレビのニュースを全て理解できるほどではありませんでしたし、英語が分かったとしても、すぐには信じられないような話ですから、理解するのにちょっとかかったのです。
やっと何が起こったのか分かり始めたころ、その当時ツインタワーの隣のウインターガーデンにあるオフィスに勤めていたボーイフレンドが、ドアのベルを鳴らしたのです。迎え入れると、彼は全身埃(ほこり)まみれで真っ白でした。二つのタワーが崩れ落ちる時に起こったすごい埃で一寸先も見えないほどの中を、命からがら逃げてくる人々の映像を、一度は見たことがあるでしょう。なんと、彼もそのうちの一人だったのです。
なんともラッキーなことに、彼はその朝寝坊したのでした。それで、初めのタワーが崩れ落ちたとき、オフィスにはいなかったのです。横倒しになったウインターガーデンの写真を見たことがありますか? すさまじいものがありますよ。もし、彼があの中にいたらと思うと、ゾッとします。私の人生も、今とは違ったものになっていたかもしれません。
今年のナイン・イレブンは、15周年だそうです。随分昔の事なのに、毎年この日になるとテレビの番組が、これ一色になるので、毎年鮮明にさまざまな事を思い出させられます。
いつ見てもドキっとさせられるのは、逃げ場を失った人たちが、あのツインタワーの上階から飛び降りる場面です。彼らはあの時、何を思っていたのか…? 考えると胸が苦しくなります。
この事件で亡くなった方に関係した、さまざまなメッセージや写真、イメージ、アート作品が公開されました。
その中にあったあるポエムが、私の心に深く響きました。恋人を失った女性が書いたものだったと思います。
「もう、貴方(あなた)は帰ってこない。帰ってきたら、○○を、一緒にしようと思ったのに…」というような内容を羅列していたと思いますが、その中に、前の晩の喧嘩(けんか)から、「帰ってきたら仲直りしようと思ったのに、もう貴方は帰ってこない」というのです。
私は、彼女を知るわけないのに、彼女の後悔の念が深く伝わりました。
それ以来、私はその当時のボーイフレンドだけでなく、誰と喧嘩をしても、次の日になる前に必ず仲直りするよう心掛けるようになりました。
母の「行ってらっしゃい」
私の母は、家族の誰かが出かける時、必ず玄関を出た所まで見送ってくれます。道が曲がっているために、家の玄関からは姿が見えなくなるまで、家に入らずに、後ろ姿を見送るのです。「行ってらっしゃい、気を付けてね」と、言いながら。もし、忘れ物か何かで振り向いた時に、自分がもうそこにいなかったら、私が寂しい思いをするかもしれないから、だそうです。ですから、私も、母から私が見えなくなる一歩前で、もう一度振り返って手を振るのが習慣です。岡家の家族全員、そうしていたと記憶しています。
母は戦中派で、彼女が4歳のころに、東京大空襲を経験しています。戦争中は、出掛けたきり帰ってこない人がたくさんいたそうです。想像するのは簡単でしょう。私が会ったことのない、彼女の父、つまり私の祖父も戦争に行ったきり戻ってきませんでした。
もし、誰かが出掛けたきり戻ってこないことがあっても後悔しないように、その前に煩わしいことがあったとしても、それをいつまでも引きずるのではなく、ニコニコお互いに安心して、落ち着いてその日一日を送れるように「行ってらっしゃい」に、心を込めるのだそうです。
その話を聞いてからは、私もうちの旦那のリカルドが出かける時に、「行ってらっしゃい」と見送るようになりました。初め照れてた彼も、今では、自分から「出掛けるよ」と声を掛けてくれるようになりました。「行ってらっしゃい」がないと寂しく感じるようです。
もちろん、喧嘩したら、その日の内に仲直りします。