(親と子について 1.の続き)
狼少女ジェーンのお話しを、皆さんも一度は聞いた事があるだろう。何等かの理由で、狼に育てられた子供の話しである。こういった動物に育てられた子供たちを、Feral Child (野生児)と呼ぶ。私には、日本語の「野生児」が、いまいちピンと来ないのでFeral Childを、使うことにする。実際にあったFeral Childのケースについては、下記に3つほど、リンクを張っておく。(時間が出来た時に、翻訳してみる予定。)
http://listverse.com/2008/03/07/10-modern-cases-of-feral-children/
http://theweek.com/articles/471164/6-cases-children-being-raised-by-animals
http://www.bbc.com/culture/story/20151012-feral-the-children-raised-by-wolves
このFeral Childのケースから、学べることは、人間の子供が親の行動を真似る事で、もって生まれた人間としての機能を開花させ、徐々に人間に成長していくという事だ。
つまり、見た目人間らしく生まれてきても、(最近、増加の傾向にある、持つべき機能を持たずに生まれてくる子供たちは別として)備わっている人間らしく生きるための機能を発動させ、さらにはその使い方を学習する必要があるという事である。
この「学習」の初めが、親(あるいは、世話をしてくれる人)の立ち居振る舞いを真似る行為なのだ。
但し、親の行動を真似るには、先ず親に興味を持つという状態が生じなければならない。この、興味を持つという状態は、結果的に匂い、声、外観などを頼りに、親に追随するという行為へと発展する。また、親、特に母親は興味を引くという行為をする必要があるように思う。それは、母乳を吸わせるという行為である。
あるホメオパシーの本によれば、へその緒を切る前に生まれたての赤ん坊を母親の胴体の上に寝かせれば、その赤ん坊は匂いを頼りに母親の乳房にたどり着き、わざわざ教えなくてもオッパイにかぶりついて元気よくお乳を吸うそうだ。(これが健全な赤ん坊の、生まれて初めにするべき行為だ。この行為は、その後生きていくための生命力の確認、あるいは生きる意志の確認といえるだろう。)
ここで一つ問題を上げておこう。この場合、親を好きでも嫌いでも関係なく、親に追随して生きる事になる。親の後を追わなければ食べ物にありつけないからだ。食べ物なしでは生きていかれない。ということは、本能的に食べる物を与えてくれる親に追随するのも本能の一部という事になるのだと思う。これに関しては、Feral Childのケースを見れば、良く理解できる。ジャングルに放り出された幼い子たちは、食べ物を与え、暖かい場所を提供してくれた動物の家族となり、その動物と同じ振る舞いをするように育っていく。4つ足で動き回り、家族である動物の言葉を話す。また、調理した食べ物を受け付けず、全て生で食べるそうだ。(新鮮で、タップリ酵素の生きている食べ物という事だろうか?)
人間の言葉や基本的行動(特に、二本足で立って歩く)を覚える前に、親と生き別れている場合は、後からセラピストや孤児院の世話係が教えても、人間の言葉を話せるようにはならないし、二足歩行もできるようにならないそうである。また本当の親、つまり人間に虐待を受けた経験がある場合、育児放棄された経験がある場合など、人間に不信感を抱いている場合は、人間社会に連れ戻されてからもなじめないそうだ。中には、ジャングルへ逃げ戻ってしまう子もいる。
という事は、私たちが普通だと思っている人間としての生活や振る舞いなど、全ての在りようが自然ではないかもしれないという事になって来る。
つまり、人間は放っておいたら、基本的に人間にはならないという事である。
(続く)