親と子について1.

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昨日、お友達とおしゃべりをしていて、「絶対視」という言葉を聞いた。久しぶりに聞いたためか、とっても新鮮な感じがして、興味を持った。

「絶対視」・・・聞いた瞬間、私の中で、ちょっとだけ時間が止まった。

この言葉が、最近私が Curious (日本語でいうと好奇心ですが、何かちょっとニュアンスが違うような気がするので、ここではCuriousにしておきます。)に思っていた事に、答えをくれたような気がしたのだ。

・・・と解ったのは、これを書いているたったの今なのだけど。彼女がやっていた「絶対視」について説明してくれている間に、そのインパクトから溶けた感じだった。

私のセッションにやってくる多くのクライアントが、この「絶対視」から抜け出せないでいる。

「親」を「絶対視」しているのである。

つまり親が、神のように完全であるという呪縛から抜け出せないで、もがいているのである。それが、どのような親であっても。

私は子供のころに、「親を超えなさい」という事を教わった。うちの親だったか、学校の先生だったか、誰がそう言ったのかは全く覚えていないのだけれど。ああ、うちの祖母だったかもしれない。親を超える事が、一番の親孝行で、人間として素晴らしい事であると教わったのだ。

多分、これがそういう事だったのだ。

親を絶対視する事から、抜け出すこと。これを、脱皮という。脱皮できた時、自分から見た親は、親と子いうヒエラルキーを超えて、自分と同じ一人のただの人間になる。つまり、自分も一己の人間になるのだ。

本来人間の成長は、先ず赤ん坊の未だ視覚がしっかりしないうちから、匂いや声を頼りに母親の方に顔を向ける所から始まる。もし、母親でない場合は、食べ物(お腹を満たしてくれる物)をくれたり、安心できる場所をくれたりして、世話をしてくれる人が対象になる。その後に視覚が発達して、目で追うようになる。

赤ちゃんは、はじめ横臥の状態にあって、背を下にしているか、腹を下にしているかのどちらかである。その状態を基準に、鼻、耳、目が世話をしてくれる人を追う事で、頭(首)の可動範囲を広げる事を学ぶ。その頭ないし首を、体のメカニズムを超えて回転させようとする事で、腹這いから背這い、背這いから腹這いへと、胴体を捻る事を学んでいく。自分で背這いから腹這いに体勢を変えられるようになると、次は手や膝で床を押して上体を起こす、這い這いする、片手を上に挙げる事が出来るようになる・・・といった、順番に、人間が人間であるための基本的理由である直立二足歩行を獲得するまで、様々なステージを経て、Homo sapiens(人類)人間に成長していく。(ヒトについて詳しくは、Wikipediaを、とっても面白いでの参照の事。)

(ちょっとここで脱線するが、真の意味での直立二足歩行が出来ている人間を、あまり見かけない。また、このウィキペディアのヒトの特徴の総体の中に「調理された質の良い、多様な食物を食べる」とある。最近の人間たちは、直立、つまり真直ぐ立てないし、質の良い食べ物を食べていないしで、本当に人間と呼べるのかどうか疑問である。)

(Anyway,その前に続けると・・・、)子供の頃は、親の後をくっついて歩き回り、親の立ち居振る舞いを真似る所から、人間になるための学びが始まる。

つまり、真似ようと思っているわけではないのだけれど、そういう習性に従って、子供は親と共に息をし、親の立ち居振る舞いを真似る事で、体の動かし方、使い方を学んでいく。

(続く)

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MAKIKO道場総帥。 幸せになる為の術を学ぶ道場をニューヨークに開設。 ポスチュア・バランス・エクササイズ発案と指導。霊感をもった、ナチュラル・ヘルス&ライフ・スタイル・カウンセラー、エネルギー・ヒーラー。 健康である事、自然である事が、人間を幸せに導くと確信する。 3次元の地球に生きる意味を、追求している。