食習慣というのは、食べ物の問題ではありません。
食習慣は、皆さんの生きる姿勢そのものです。
皆さんが、本当に自分や家族を愛しているなら、食事=食べる事を通して、どのようにその愛を表現するのでしょう?
愛していると言いながら、ご飯を作るのが大変だから…、それを口にする事で健康が損なわれる事を頭の何処か片隅で知っていながらも、その知識が自分の表面に出てくるのを抑制しながら、自分に、家族に、子供達に毒の入ったご飯を食べさせていませんか?
生活習慣、食習慣は、貴方の愛の表現そのものです。
お砂糖やMSG、その他の食品添加物がタップリ入った物を食べた後、あるいはお子さんやご家族に食べさせた後の体調や感情、行動の微妙な変化に気づきますか?
もし気づいていないとしたら、愛している人の変化にどうしてそんなに鈍感になれるのか、おかしいと思いませんか? もし気づいていても、まあ、ちょっとだし、… 今日は、今回はオーケーにしてしまう日が続いたりするのは何故ですか?
愛に面倒くさいは、通用しません。もし貴方が愛に不安を感じるとしたら、あなた自身、こういったちょっとした所で、愛の表現をケチっているのかもしれません。
愛のない人はいないと思います。問題は日常の愛の表現の仕方なのです。お互いに心地よい表現を提供し合うには、毒入りご飯で、身体が詰まっていてはできません。身体が詰まれば心も詰まります。
「三字経」という中国の古い本の中に、「人之初,性本善」という言われがあるそうです。毎週、とても熱心に私のセッションを取ってくださっている中国人のクライアントさんが、教えてくれました。グーグルで調べたらこのような記事が見つかりました。
1:人之初,性本善,性相近,習相遠。苟不教,性乃遷,教之道,貴以專。
(日訳)人は生まれ落ちた当初には、その天性は皆が善良であり周囲の人や事柄にも十分に友好的である。しかしながら、成長するに及び、家庭の教育や外界の各種要素などの影響によって、本来はその天性において近かった人も、だんだんとそれぞれ異なった性格と人格が形成されてゆく。
子供の幼年期に教育を施さなかったならば、その善良な天性はだんだんと変質し始める。子供を教育するにあたっては、その本性を伸ばすだけでなく、その子供が専心して事をやり抜くこととゆるめないよう指導することが必要である。もし父母が子供にそう要求しないのであれば、教育が良い作用を起こすことは望めない。
http://sky.geocities.jp/fullmoon12152000/99_blank001.htm
食は、教育です。「人之初,性本善」の天性を変質させないための教育の基本は、正しい食育にあるのです。健全な食育を通して愛を伝える事は、言葉で愛を語る以上に大切です。