前出の、日本式鍼のコースは、私の目を何度も見開かせてくれました。
皆さんは、「死脈」をご存知ですか?
先生は、死脈を脈診した時の、ご自分の経験について、お話をしてくださいました。
ある時、患者さんに・・・死脈?っと思われる脈が出ていたそうです。
でも、死脈を確認するというのは状況的にちょっと難しいので、練習できていなかったそうです。大抵は死脈かなっ?と思っても、その患者さんが亡くなってしまったらもう二度と出会わないかもしれないし、患者さんがもう来なくても、亡くなってしまったからなのか、治療に不満があったからなのか、来ない理由は大抵わからないからだそうです。・・・・・納得。
案の定、この患者さんには、二度と会う事がありませんでした。・・・しばらくして、この患者さんの知り合いと会いました。それで、
「・・・彼、どうしている?」、「ああ、亡くなったんだよ。」
やっぱり・・・っと、先生は心の中で合点したそうです。
でも、皆さん、この死脈、驚く事なかれ!・・・死因は、病気のような内因でなくても良いんです。交通事故や飛行機事故、何処か高い所から落ちてとか・・・etc. しかも、3ヵ月先とか、確か六ヵ月先くらいまで、読めたと思います。
私たちの体は、自分が何時死ぬか知っているんです。
実は私たちのDNAと言うのは、各人の人生のブループリントとも呼ばれ、大体何歳でどんな事が起こるか、予想というか、予報が出ているんだそうです。それは、生まれたばかりの赤ちゃんの脈とも一致するそうです。生まれたばかりの赤ちゃんの脈をみると、その人生を通しての五臓六腑のバランスの傾向がすでに出ています。この五臓六腑における気のバランスの傾向と言うのが、その人が持って生まれた、現世で克服するよう仕込まれた、人生における課題なのです。何故なら五臓六腑の気のバランスは、その人間の人格に直接的に影響するからです。そして、この脈のバランスによって、その人が陥りやすい思考の癖が、生まれた時にすでに始まっているという事なのです。この思考癖を自分で正し、そして癒し、現世にて、少しでも無条件の愛に近づく事が、私たちの生きる目的なのです。
でも、時間が決められている。つまり、魂が身体を離れる時間が決まっているという事です。
そして、その時が近づくと、それが死脈として現れるという事です。
死脈から考えるに、死は単なる自然です。生まれた物は、全て何時か死ぬのが掟です。
そして、死が自然なら、それは何時でも完璧なんだと思います。この世に起こる全ては、必然といいます。死も必然なわけです。
(続く)