このブログのご紹介と日本語訳は、二コル・パークさんに許可を得て掲載しています。
ダニエルは、前出のジェームスのお兄ちゃんです。同じ自閉症と言う診断でも、症状はジェームスの物とは、全く異なります。ダニエルは、言葉は全く問題ないどころか、学業の方はとても優秀で、セッションの時におしゃべりしてくれる内容も、とてもインテリジェントです。酷いアトピー性皮膚炎と、やっぱり酷いOCDを持っています。彼のOCDは、まるで2重人格症。症状が出ると、先ず、目の周りに真っ黒な影ができ、瞳もトロンとしてフォーカスを失ってしまいます。そして、まるでジキルとハイドのお話のように、性格がコロっと変わってしまい、誰かを呪う様な事を口走ったり、罵ったりするようになるのです。私のところへ来るまで、薬で抑えてきたのですが、お医者様をご主人に持つ二コルは、長期間的に服用する薬の怖さを良く知っていて、何とかしたくて私のところへ連れてきたのでした。ジェームスのところで書きましたが、7月から食事療法に本腰を入れるようになり、ダニエルは薬なしでOCDに対応できるようになって行きました。2ヶ月後の今では、OCDの症状が始まると、自分で気付き、5~10分で、自分でコントロールして本性に戻せるようになってきたそうです。
以下は、5月19日に書かれたブログです。
http://www.healing-kitchen.net/nicoles-healing-kitchen-1/2015/5/19/daniel
ダニエル —Daniel— (15歳)
これは、私の長男、ダニエルが書いた詩です。
僕はどこから来たんだろう?
それは、アーティスト・シリーズのスケッチブックと歴史の本の紙。
僕の木の机に書いた絵。
白いポピーの花と、レッド・メープルの木。
韓国の言葉と民族衣装、キムとリーとパーク。
ストレートの黒い髪と茶色の目。
ノアの方舟と割れた紅海。
敬虔なクリスチャン。
ニュージャージーで生まれ、キムチとお米でできている。
アメリカに戻る時の落ち着かない感じと、友達との別れ。
僕の部屋の壁に書いた裸足の絵の中の壁に書いた絵。
ダニエル・パーク
夫とはよく、ダニエルが生まれる前に、どんな子に育ってほしいかという話をしました。2人とも、優しくて神様を愛する、幸せな子に育って欲しいと願っていました。その願いは、自閉症というおまけ付きで叶うことになったのです。
私はよく息子達を「でこぼこ兄弟」と呼んでいました。兄のダニエルはもの静かで優しくて、私の言うことをよく聞きました。いつも弟に合わせてあげて、家族を守ろうとしてくれることもありました。象が大好きで、髪はふさふさのカーリーヘアで、とてもハンサムな子です。ひょうきんなところもあります。自閉症と診断されましたが、優しくて素直なところは何も変わりませんでした。ダニエルには、自閉症症状の一つである言語発達の遅れがあり、4年生になって初めて、自分の考えを言葉にできるようになりました。彼は一生懸命訓練しました。ピアノも弾けるようになりました。ある日、ダニエルのハムスターがいなくなってしまった時、私は「お母さんのところに帰ったのよ」と嘘をついたのですが、彼は何も言わず、それを信じたふりをしてくれました。そして後になって、「嘘だと分かっていたよ」と教えてくれたのです。同じく自閉症の弟よりも自立した生活を送れるようになる見込みがあったので、どんどん新しいことに挑戦させてきました。
そんなダニエルの身体が、誰かにのっとられてしまったと思ったのは、2013年のことでした。春休みでバケーションに出かけていた時、膿を持った、原因不明のひどい腫れ物ができたのです。ダニエルはすごく痛がって、とても可哀想な状態でした。夫は仕事で先にニューヨークに戻っていたので、私一人で対処するしかありませんでした。友人が抗生物質を処方してくれたので、それを飲ませると、数日後に腫れは治まりました。
その年の5月の終わりには、リンパ節が腫れ上がりました。首を回すこともできないほどのひどい腫れで、急いで救急病院に連れて行きました。多少検査をしましたが、何故リンパ節が腫れたのか、何がどうなってそんな症状が出たのか、誰も分かりませんでした。結局ダニエルは、病院のベッドの上で、いろいろな抗生物質を身体の中に入れられながら、14歳の誕生日を過ごすことになってしまったのです。
そして夏休みになり、うちに何日か泊まりに来ることになっていたダニエルの友達を迎えに行った時のことです。ダニエルが車の中でずっと、ブツブツ独り言を言い続けたのです。友達に話しているのでもありません。目をつぶって、頭を振りながら話し続けたのです。誰かに「あっちへ行け」と言っているようでした。何度か大声で呼びかけて注意を引き、我に返らせようとしましたが、独り言を止めようと思っても止められないようでした。とても怖い時間でした。ダニエルは、疲れ切ってしまいました。家に帰った後、何も食べたくないと言い、友達とも話しませんでした。一晩中付き添って様子を見ましたが、結局、彼は一睡もしませんでした。ずっと起きたままで、眠りにつくことができなかったのです(後になって分かったのですが、それまで2週間、ずっと眠っていなかったようです)。次の日、朝食を食べるために一階に降りてきましたが、食べることはできませんでした。空想にふけっているようで、心ここにあらずという状態でした。私はもうパニックになりました。すぐに診てくれる精神科医を探したのですが、当日電話してその日に診てくれる小児精神科医を見つけることは、とてもできませんでした。私の夫は仕事上、医療関係者と多くのつながりがありますが、そんな彼でもお手上げでした。彼は普段はとても楽観的ですが、何か起こるといつも最悪の事態を覚悟します。彼は万が一に備え、仕事のミーティングを全てキャンセルしました。
ダニエルは2〜3日、ベッドから出て来ませんでした。家族全員で断食をして、ダニエルが良くなるよう祈りました。そんな時、私はふと、学校のミーティングでよく名前が挙がる精神科医のことを思い出しました。すぐに電話をかけました。そして医師に息子が大変な状況になっていると伝えた途端、こらえていたものが溢れ出してワッと泣き出してしまい、他に何も言えなくなってしまいました。夫の両親が家族全員を呼び寄せていたので、義理の妹に電話を代わり、助けてほしいと頼んでもらいました。結局、その医師には診察してもらえませんでしたが、別の精神科医を紹介してくれたので、すぐに電話をかけました。その日は土曜でしたが、電話越しに私達の必死さが伝わったのでしょう。午後に診察してくれることになりました。
医師は、年配の優しい感じの人でした。医院には、読み古された感じの本が沢山置いてありました。一通りダニエルの状況を話すと、OCD(Obsessive Compulsive Disorder, 強迫性障害)だと診断されました。ショックでした。確かに、ダニエルに潔癖なところがあるのは分かっていましたし、毎晩、寝る前にレゴのブロックを一つひとつ数えたりもしていました。でも、彼のそういうところが普段の生活に支障を来すことは、それまでありませんでした。その日は向精神薬を処方され、自閉症に詳しい小児精神科医と、心理学専門医にかかることを勧められました。
薬を2〜3日飲むと、ダニエルの状態は少し良くなりました。医師のアドバイス通り、私は小児精神科医と心理学専門医を探し始めました。まずは、ニューヨーク州ブルックビルのオーティズム・センターをあたると良いと聞いたので、そこの精神科医の診察を受けに行きました。ダニエルが昔、自閉症と診断されたのも、ここでした。診察を受けると、薬を処方され、血液検査が手配されました。心理学専門医のセラピーも受け始め、3カ月間ほど週に一度通いました。医師には、ダニエルの症状の抑え方を教わりました。ただ、ダニエルの強迫観念に関しては、医師の考えはちょっと偏っていました。正直その医師はすごく変わった人で、最初から私はあまり良く思っていなかったのですが、ダニエルが罪悪感に悩むようになってしまったことで、とどめを刺されました。ダニエルは敬虔なクリスチャンですが、信心深すぎるところがあります。彼はその時、自分が間違いを犯したから、地獄に落とされるんじゃないかと心配していました。でも14歳の彼が、そんなひどい罪を犯したはずがありません。どうしたのかと思ったら、何と、その医師が「聖書の教え自体が間違っている」と言ったからだったのです。私達家族の価値観を完全に無視した発言です。私は、そのセッションを最後に別の心理学専門医を探し始めました。資格があっても、才能がなければ駄目なのだと、身にしみて分かりました。
そしてその年の12月に、次の心理学専門医のセラピーに通い始めました。同じ失敗は繰り返したくなかったので、相手の気持ちを敏感に感じ取り、理性的に行動しそうな人を選びました。強迫性障害や、十代の若者の考え方について分からないところがありましたが、医師の説明で少しずつ理解することができました。彼のセラピーを続けることに決め、週に一度通いました。その時、向精神薬はまだ飲み続けていました。半年後には症状が落ち着いたように思えたので、セッションは終了となりました。医師は最後に、私達の幸運を願ってくれました。
向精神薬を飲み始めてから、ダニエルはずいぶんと太り、いつも身体が腫れているような感じでした。生まれてすぐの頃から湿疹ができていて、おでこをいつも掻きむしるので、内出血で紫色になってしまっていました。ひじから下は傷跡だらけで、首の皮膚の傷は開いたままでした。ひどい花粉症もあり、アレルギーの薬を飲んでも、何週間も外出できない状態になりました。薬の影響で、ダニエルはイライラして、怒りっぽくなりました。私も、一握りほどの沢山の薬を毎晩飲ませ続けることが、とても嫌でした。
ダニエルの強迫性障害は、もともとあった自閉症の症状よりもひどいものでした。自閉症スペクトラムの子供達が、思春期を迎えた時に、重度の強迫性障害などの精神障害を発症するのは非常によくあることだそうですが、誰からもそんなことは聞いていませんでした。強迫性障害には、いくつかのタイプがあるということも知りませんでした。そういうことを私が知っていたら良かったのに、と思います。彼の痛みをもっとよく分かってあげられたかも知れないし、強迫性障害は一時的な脳のしゃっくりみたいなものだと教えてあげることができたかも知れません。彼は別に、狂ってしまったわけではないのです。
何度か服薬量を減らそうとしたこともありましたが、全然うまくいきませんでした。前よりもっと症状が重くなってしまったのです。毒々しい色をした錠剤を飲ませても何とも思わないように、自分の心をコントロールしなければなりませんでした。でも、いつも心の奥の方では、ダニエルに副作用が出ないよう祈っていました。
そして2014年の12月に、友人の紹介で、GAPS食事療法士の岡牧子先生に出会ったのです。セッションでは、先生がダニエルの姿勢を矯正し、身体のゆがみを正してくれました。すると彼がそれまでと全く違う声を出したのです。いつも鼻にかかった声だったのですが、初めて身体の奥深くから普通の声を出すことができたのです。GAPS食事療法士というタイトルは、先生のほんの一面に過ぎませんでした。東洋医学に詳しく、身体全体がどのようにつながり、機能しているか、とてもよく研究されています。私は、西洋医学の医師を夫に持つ、疑い深いニューヨーカーでした。抗生物質やステロイド剤のこともよく知っていました。そんな私が自然療法士の牧子先生を信頼しようと決心するのは、簡単なことではありませんでした。でも、私自身の努力によって、ダニエルの免疫機能を高め、不安感を和らげることができると先生に言われ、それならやるしかない!と思いました。
私は、弟のジェームズよりもダニエルの方がGAPS食事療法を受け入れやすいのではないかと思いました。弟よりも、偏食が軽かったからです。でもダニエルも炭水化物中毒であることに変わりはなく、パスタ、パン、米、菓子パンが一番の好物でした。ハムとホットドッグも大好きで、フルーツも好きでした。精製糖なら何でも大好きでした。当然、彼は食事制限を嫌がりました。私が台所の食べ物を全部片付けた時には、狂ったように怒りました。砂糖がたっぷりかかったシリアル、パン、ポテトチップスを全てゴミ箱に捨てたのです。小麦、米、コーンが我が家から姿を消しました。代わりに、ボーンブロス、卵、ヨーグルト、牛肉と鶏肉を食べさせました。ダニエルは、それまで食べていた色んなジャンクフードを食べたいと言いました。私は、彼が喜んで食べそうなレシピを、もうこれ以上探せないと思えるまで、徹底的に探しました。それでも彼は満足しませんでした。私のことを、嫌なことを押し付けてくる独裁者みたいだと学校で言いふらし、家でも私の悪口を言って夫を味方につけ、反撃しようとしました。家族の中で、私はいじわるな悪の女王みたいな存在になってしまいました。朝から晩までひどく反抗されるので、私は自分の子供を嫌いになってしまいそうでした。優しくて素直なダニエルはどこへ行ってしまったのでしょう? 自分が産んだということ以外で、ダニエルを愛せるようになる理由を一つだけで良いから教えてほしいと、夫に頼んだこともありました。
食事療法を開始して2カ月で、ダニエルの体重は7キロも減り、ウエストも13センチ細くなりました。顔の腫れも徐々に治まり、紫色だったおでこも肌色に戻りつつあります。腕と首の皮膚も生まれ変わってきています。顔のにきびと湿疹はほとんどなくなり、首の傷も全部ふさがりました。この調子で皮膚が正常な状態まで再生し続けるよう、ヨーグルトにプロバイオティクス・サプリメントを混ぜた物を今も塗り続けています。ダニエルの状態は、本当に少しずつ変わっていったので、私は最初、それに気が付きませんでした。牧子先生に会う度に、確実に変わってきていると言われ、私は安心しました。食事療法を始めて3カ月経つと、私自身にも変化が分かるようになってきました。気分のむらがなくなってハッピーになり、冗談を言うようにもなったのです。この時から、薬の量を減らし始めました。
もちろん、症状は治まるばかりではありません。治る前に一時的に症状が悪化する、好転反応が起こるからです。今から1カ月ほど前、ダニエルの首のリンパ節がまた腫れ上がりました。以前、入院した時と変わらないほどのひどい症状だったので、私はパニックになってしまいました。牧子先生に相談すると、それはGAPS食事療法を始めると必ず起こる、ダイ・オフ反応(悪玉菌が死ぬ時に放出する毒素によって起こる好転反応)だから、薬を使って症状を抑えてはいけないとのことでした。おでこも膿がたまって腫れ上がり、右目を開けられない状態にまでなりました。それでも私が薬を使わないので、主人は私がどうかしてしまったと思ったのでしょう。治療をしないまま放っておいたら、ダニエルがこういうことになってしまうよと、最悪のシナリオを私に話しました。でも私は、薬は使わなくとも、ボーンブロスと生乳の量を増やして治療をしていたのです。何カ月も、この方法でダニエルの身体を解毒させようと一生懸命頑張ってきたのです。私は主人にこう約束しました。彼が出張に出かける2日後までにダニエルの状態が変わっていなかったら、薬を使うと。すると、ダニエルの状態が良くなってきたのです。私は友人にもメッセージを送り、ダニエルのために祈ってほしいとお願いしました。結局、主人がシカゴ出張から帰って来た時には、ダニエルのおでこのできものとリンパ節の腫れは、すっかり治っていたのでした。この経験は、ダニエルが変わるきっかけとなりました。以前は私の目を盗んで、学校でカップケーキやクッキーやポップコーンなどを食べてしまうことがあり、その度にごまかしてばかりでした。でも隠そうとしても身体を見ればすぐに分かることです。彼はこのリンパ節の腫れを経験して、自分の身体が小麦に敏感に反応するのだと、以前より分かったようです。今年の春はアレルギーの薬を一度も使わずに済みました。咳が出て何日か家で休むことはありましたが、それは薬を使っていても同じことです。彼の体全体が健康になってきているのがよく分かります。
彼は、今では私よりも背が高く、体重も重くなりました。身体は大きくなりましたが、中身はまだ成長の途中です。学校では好きな子ができて、彼女のどんなところが好きなのか、私に聞かせてくれます。彼ととても楽しく会話ができる時もあります。いろんな場面で、優しくてはつらつとした彼の一面が、一瞬姿を見せます。まだ強迫性障害の症状が現れることもあり、その度に私は怖くなってしまいます。暗闇の中にうずを巻いて落ちて行くようなあの経験を、彼にはもう二度として欲しくないからです。でも、彼は確実に成長し、変わっています。以前は喜びと怒りという2種類の感情しか表現できませんでしたが、先日、泣きながら部屋から出て来たのです。彼が泣くなんて、以前は考えられないことでした。しかもその理由が衝撃的でした。彼は映画の「シンドラーのリスト」を見て、感動して泣いていたのです。こういう心の成長は、自閉症の子供には期待できないと思っていましたが、それは間違いでした。いつも思いも寄らない成長を見せ、驚かせてくれます。
年を重ねる度に、彼が成長していくのは当たり前かもしれません。でも、食事療法が彼の成長を後押ししていることは間違いありません。まだまだ長い道のりを歩まなければなりません。私は「18歳になるまでの2年間我慢したら、何でも食べたい物を食べられるようになるから」と、彼に言いました。それは、彼をやる気にさせるための嘘の約束です。この2年間で、自分の身体をもっと大切にすることを、彼に学んで欲しいと思っています。
(日本語訳、阿部里果)