でも、病気になって、(ある意味)幸せな人も、実際、存在します。
そういった例を、数件、ご紹介しましょう。
例1、
A子さんは、ホルモン異常系の病気で、私のところへご相談にいらっしゃいました。 お母様がなくなる前の約2年間、脳腫瘍を患われ、A子さんが看病されたそうです。 お母様の闘病は、激しいお母様の性格をそのまま映すように、やはりとても激しい、苦しいものだったそうです。 お母様が亡くなられて約1年後、ほっとするのもつかの間、A子さんの病気が発見されたそうです。
A子さんの体の病気(ホルモン異常系)は、食事を中心とする生活改善と自然療法で、4ヶ月で完治しました。
問題は、心の方です。 A子さんが、病気になった原因は、お母様を救えなかった罪の意識でした。 彼女はまるで、自分のせいでお母様が亡くなったように感じていたのです。 その罪の意識の大きさに耐えられず、自分を病気にする事で安心を得ていたのです。 つまり、病気になる事 (自分を罰する事)で、大きな不幸せの中に、小さな幸せを作っていたわけです。
例2、
B子さんは、白血病になってしまいました。 このB子さんのお母様が、長い間ご病気で、一人っ子のB子さんがお母様の看病をしなければなりませんでした。 それが嫌で嫌で仕方がなかったB子さんは、自分が病気になる事でお母様の看病から逃れたのでした。 この場合も、罪の意識が関わっています。 B子さんは、健康なままお母様の看病を断る事に罪の意識を感じていたのです。もちろん、それは、本人は、自分でも気がついていなかった事です。 しかしながら、心の奥底に内在する自分の知らない自分が、B子さんを病気にしていたのでした。
例3、
C子さんは、股関節の変形性関節炎(arthritis deformans)を起こしダンスが踊れなくなってしまいました。 彼女は、ダンサーになるのが小さい頃からの夢でしたが、ダンサーで食べていけるほどのキャリアを築く事が出来ませんでした。 ダンスキャリアが築けず、年齢だけは経ていってしまいます。 また、厳しいお父さんに育てられ、一度始めたら途中で諦めたりしてはいけないという教育を受けて育ちました。 (アメリカでは、この途中で諦める人の事を、馬鹿にしてクイッター (quitter)と呼びます。) クイッター呼ばわりされたくない気持ちと、お父さんに認めて欲しかった気持ちに挟まれて、苦しんだ末に、股関節炎を起こしたのです。 股関節が変形する病気では、上手く踊れなくて当たり前ですから。
病気になる事で幸せになる人も、存在するのです。