「Aが手に入るなら、Bをします」という公式のもとに生きている人がいる。
この真実は、「損をしないなら、〜します。」なのである。つまり損得勘定をベースに生きている事になる。
こういう人たちは、「損をする=自分が馬鹿をみる」というさらに焦げ付いたアイディアのもとに生きているため、思いっきり生きる事ができない。思いっきり生きる事ができないと、思いっきり学ぶ事ができないし、思いっきり仕事をする事ができないし、思いっきり愛する事もできない…と、常々の行動が中途半端になるので、その達成感、満足感も中途半端になる。
この損得勘定に生きている=中途半端に生きている人が、幸せに成る事は先ずない。何故なら、幸せとは、満たされている事だからである。
そして例えば、精神論で言う所の「今を生きる」というのは、時軸と場軸のあった所に、自分という存在の軸をピッタリ合わせる事になるが、思いっきり合わせないと、凸と凹があうスッキリ感が得られない。
この「今を生きる事の難しさ」であるが、一生に一度でもピッタリ来なかったりすると、その時軸と場軸に思いっきり存在した時の不飽和状態が、何時までも何処までも本人がその存在の責任をとるまでついて回る仕組みになっている。その不飽和状態が、早い人は胎児49週目の時くらいから、すでに始まっている。
まあその積もりに積もった不飽和状態を、自覚し始めるのが10歳代ではないだろうか?それでティーンになると親や社会に対して、過剰なまでの抵抗をする人がいるのだ。
反抗期がない人はいない。もし親が、「うちの子供は、反抗期がなかった、素直な良い子」だと思っているようだと、それは大間違いである。反抗期は人としての成長に不可欠なプロセスなので、多少なりともないと後で本人が苦しむ事になる。ちなみに第一次反抗期は、2歳頃だそうだ。そして、過剰な、あるいは異常なまでの反抗、抵抗をする人たちというのは、産まれてこの方の雪だるま式に膨らんだ不飽和状態を自分で処理しきれずにもがいているのである。
それでもその不飽和状態を、完全なる自分の責任下において処理するべく暗中模索し始めるのが二十歳をすぎる頃からだろう。一般的に大人として、世間に放り出される時期である。その後30代前後まで、試行錯誤しながらその積もった不飽和感の雪だるまを解凍する術を模索する事になる。この辺から人生が、二つに道が分かれるのである。
それが、前向きと後向きである。
(続く)