今日は、クリスマス・イヴです。このクリスマス・シーズンが来るたびに感じるのですが、街が優しくなる事です。
アメリカ在住の皆さんは、御存知のようにアメリカのクリスマスは、スーパー・マテリアライズド・シーズンです。クリスマス用のギフトを買うのに、皆の財布の紐が弛みます。そして、彼らの心のプロテクションも弛み、多くの人が優しくなるのを私はいつも感じるのです。
このブログに何度か登場の私の旦那は、クリスマスでなくてもほとんど一年中、社会の弱者に対して心の紐が弛んでいる人です。まあ、彼が特に気にかけているホーム・レスの人々は、私たちの住むホーボーケンだけでも、全部で半ダースくらいはいます。その中でも、特に気にしているホームレスのおばあちゃんがいます。
今朝、郵便局からの帰り道、私は彼女に出会って、一瞬どうしようかと怯んだのです。いつもはうちの旦那が彼女にお金を上げたりお喋りをする間、私は傍らでニコニコしているフリをしながら固まってしまっているのです。
もう本当に我ながら情けないとは思うのですが、なかなかこのホーム・レスに何かを恵むとか、優しく話し相手になるとか、未だにかなり決死の思いでやらないと出来ない自分がいるのです。酷い時は、どんな顔をして彼らの前を通れば良いか解らない時さえあります。勿論、全ホームレスを助ける事は不可能に近いですし、そんな事を神様は、私にやれといっているわけではないと思うのですが、・・・・・。
「慈悲の心を学びなさい」という事だと思います。これ来年の私の抱負に早速入れたいと思います。
特にこのホリデイ・シーズンは、独り者には寂しい時。しかも冬なので、心身共に寒いです。この連れ合いを亡くすには一番不味いタイミングで、長年連れ添った猫をなくして、何時も気丈夫なこのおばあちゃんも流石にさみしそうでした。一瞬怯んだ私でしたが、いやいやと思いなおし、話しかけました。いつも家の旦那と一緒の時は、私の名前まできちんと覚えている(アメリカ人は、普通私の名前を発音できない)のに、ちょっと私が気合を入れすぎたようで、今日は私の顔を見て、あちらが怯んでキョトンとしていました。
亡くなった猫のお話を聞いて、お悔やみを言って、$5冊を渡して、別れました。でも、私が彼女と話している間に、2,3人の人がこのおばあちゃんに声をかけていったのです。
彼女と別れてから、いろいろ自分の心の中を感じてみました。今後の学ぶべき私の課題は、
「慈悲」と「感謝」
だなあっと、改めて人間である事の素晴らしさに、深く感じ入るクリスマス・イブの始まりでした。
クリスマスは、一年に一度人間としての優しさを思い出させてくれる学びの時なのだと思います。