自分のお子さんを、もっと信じてください。

0
626

お母さん、お父さん、もっと自分のお子さんを信じて上げて下さい。

「平均値と比べて・・・。」「皆と比べて・・・・。」「どうしてモット・・・・ではないのかしら?」

大体「平均値」って何ですか?誰の?何人の?何処の何方の?・・・平均値でしょう?その平均値に自分の子供が間に合っていない事がそんなに一大事なんですか?その子のペースで育つ以上に?

おかしい?おかしい?どう~考えても私の腑には落ちません。

子供は自然その物、皆違って当たり前です。育っていくスピードも、大きさも全て他のお子さんと違っていて良いのです。

何故、御自分のお子さんをせかすのでしょう?

もし、他のお子さんよりゆっくり時間をかけて育っていっているなら、何故自分の子供のために待ってあげられないのでしょう? そんなに、自分の子供を信じてあげられないのですか?それとも親としての自分を信じていないのですか?

自分の子供が平均値以上か以下か、とても気になるお母さん達が、私にはとっても気になるんですけど?

そして平均値に間に合うと、今度は、子供が小さい時は早く立たせようとする、早く話させようとする、その後は、良いとされる幼稚園に始まって大学まで、果ては就職する会社の名前まで、本人が本当に幸せかどうかよりも、有名な名前を獲得する事の方が大切になるようです。自分が良いと思うのだから、当然自分の子供も同じように考えるとでも思っているのでしょうか?人間一人一人違うのに。

有名

とされる名前の獲得競争に巻き込まれたお子さんたちは、真の幸せとは何かという事を勘違いしたまま育ち、勘違いした幸せを、そのまた自分の子供に押し付け・・・と言う悪循環を何年も続けた来た結果が、自分の目の前で誰かが死にかけていても、スマフォンから目をそらさず見て見ぬふりをする、今の3無主義ならぬ、4無主義社会です。

何が本当に自分の心を満たしてくれるのか、どうそれを探したらよいのか、何処を探したらよいのかも、知らない人達が多すぎます。自分の心の満足とは、どういうものかという事を、体感としても感情としても知らないのです。それでは生きている甲斐がないでしょう。

そういう人の身体は、まるで身体は牢屋のように固く、心は捕まって自由を失った小鳥のように悲しく、その存在はまるで幽霊のよう。若くして既に半分死んでます。勿論、魂は、怒りの極限に達しているでしょう。

小さい頃から追い立てられて、何時も急がされて育ってきて、十分に経験したとか、十分に消化したとか、十分に満たされた事がないのです。

いかがですか、今皆さんは何世代目かのそんな子供達を育てていないでしょうか?

「そんな事は知っているわよ!」、「うちは大丈夫!」、「私はちゃんとやっている!」・・・・、と思いましたか?

それは危険ですよ。このような答えが出てきた方は特に、3歩下がって御自分の影をご覧ください。真実が見えるかもしれません。ハッとされましたか? もしそうなら、貴方は素晴らしいお母さんに変身できます。

「良い子になりなさい。」「ちゃんとしなさい。」「ΟΟしなさい。」「ΟΟしてはいけません。」「早くしなさい。」「鈍間ねえ。」「不器用ねえ。」「頭が悪いわねえ。」「駄目な子ねえ。」「どうして、そんな事も出来ないの?」「間違えないようにしなさい。(まだ何が間違いなのかも解らないような、小さい頃から)」「どうして貴方は、ΟΟなの?」「ΟΟちゃんは、ΟΟなのに・・・。」「お父さんみたいにならないでね。」「(他にも)ΟΟみたいになっては、いけません。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・延々と続くリスト・・・・、子供はリラックスする暇がありません。

でも、情緒豊な子になって欲しいって? そりゃあ、無理だ!

私も散々父に「一番になれ、二番じゃあ駄目だ1」と言われて育ったので、良く解ります。

ただ何をしたいかについては本人任せでした。よく「お前は何がしたいんだ?」と聞かれたのを覚えてます。「まあ、いいや何でもやりたい事をやれ。」とも言われました。

誰かと比べて、良いとか悪いとか言われた事もありません。勉強しろと言われた事もありません。「やりたい事を、一生懸命やれ。」「自分で決めろ。」「自分の人生は、泣いても笑っても最後は自分の責任なんだ。」・・・・・・でも極め付けが「何でもいいから、一番になれ!」だったのです。

今だから、笑えますけどね。

シェア
前の記事
次の記事骨付き牛肉のシチュー
MAKIKO道場総帥。 幸せになる為の術を学ぶ道場をニューヨークに開設。 ポスチュア・バランス・エクササイズ発案と指導。霊感をもった、ナチュラル・ヘルス&ライフ・スタイル・カウンセラー、エネルギー・ヒーラー。 健康である事、自然である事が、人間を幸せに導くと確信する。 3次元の地球に生きる意味を、追求している。