昨日の続きです。
「貴方が間違っているから、私が頭に来るのよ。」とか、「貴方が自分の間違いを認めないから、私が気分を害したのよ。」といった理屈を主張する人達が沢山います。
これってスーパー理不尽ですよねえ。裏を返して、その相手が同じように主張する事も、可能なわけですから。そうすると、双方が正しくて、同時に双方が間違っている事になります。
はい、それで良いわけです。つまりここで頭に来る必要も、気分を害する必要もない、という事になります。
この相手の同意を得られない時に、「頭に来たり」「気分を害したり」する人たちというのは、自分の価値を認めてもらえなかった、愛してもらえなかった・・・・、という根本的な不安=エゴが、根底にあるのです。これを一般的に、トラウマと呼びますね。
このトラウマが何処から来るかというと、大抵は皆さんの御両親です。私たちは、1人の人間として成長して行く間に脱皮と言うプロセスを通らなければなりません。この脱皮とは何かというと、両親から植えつけられたマインド・コントロール(~家のシキタリみたいな物)から離脱し、自分はどう考え、どう生きるのかという自分の人生の指標をはっきりさせる事だと、私は思います。
この脱皮の作業をきちんを終えると、自分の両親を、親と子という上下関係を越えて、1人の人間として受け入れ、自分との違いを許し、尊敬できるようになります。この場合の尊敬は、親として尊敬しなければならないと、社会や学校が教えるから尊敬すると言うのではなく、一生懸命生き抜いてきた1人の人間としての尊敬を言います。
ここで、親と自分は対等の立場になるのです。この場合立場とは、立ち位置、つまり自分という存在という事です。このように親を自分と同じ人間同士と見る事が出来るようにならないと、スピリチュアルを目指す皆さんのゴールである無条件の愛に到達する事は、出来ません。また、人間として成長した、とは言えないのです。
この必ず勝た(正しく)なければならないというトラウマに、心を巣食われている人達は、親に価値を認めてもらえていないのではないか、愛されていないのではないかといった、不安を心の何処かに抱えている人達なのです。この不安、つまり過剰なエゴを浄化(昇華)するには、この親と対等の立場になる、つまり成長する事が必要です。
私が子供の頃うちの親は確か、「子供は何時か親を超える物・・・・云々。」と教えてくれたような気がしますが・・・・?何もかもが不安な世の中が続くと、親は子離れを恐れ、子は親離れを恐れるといった、皆そろって成長出来ない混乱した社会になってしまうのでしょうか?皆と同じで安心する人達にとっては、一時の隠れ蓑にはなると思いますが、最終的に自分の人生のターニング・ポイントにおいては、不満だらけの振り返るのが辛い自分を見る事になってしましますよねえ。
勿論何歳になっても、やり直しは出来ます。でも、気がついたらなるべく早く手を打つのが、良いでしょう。