人生における、どんな小さい事柄でも、必ず勝ったと思えないと気がすまない人達がいます。実はこの人達は、本当の勝ち組ではないのです。心の奥底に、いつも自分は間違っているのではないか・・・・・?といった不安が常にあるのです。 ですから、常に自分が正しい事を確認出来ないと、もっと不安になってしまうのです。また、小心者の彼らは、その不安に耐える事が出来ない。だからいつも「勝つ=正しい」という証を求めているのです。
矛盾していますよね。
っで、こういう人達は、自分の中にあるエゴ(不安)を否定しようとします。この人達にとって、エゴは大抵悪い事その物です。物事の全てに光と影があるという事は、頭で解っている人でも、エゴを影としてしか見る事が出来ないのです。
何時も自分が正しくないと困る人達は、この自分の中のエゴを直視する事が出来ません。直視出来ないので、何が良くて何が悪いのかきちんと把握する事も出来ないのです。それで益々、ビクビクしながら生きる事になる。何故ならエゴ=悪い事と、親や先生や社会の間違った考え方に、同じように考えるように習慣づけられているからです。
力学的に考えると、全ての物体はある程度の型さを保つ事で形を作っています。人間の身体も、ある意味、そしてある程度は同じ理論が成り立つのです。人間は物体としての身体を与えられた時点で、エゴを所有する事を課されているのです。
エゴ無し、つまり0(ゼロ)の状態になるのは、肉体を手放した時。肉体を離れれば、エゴ=不安ゼロ状態になれます。それは皆さんが死んで、49日後に御霊前から御仏前に格上げされた時です。はっきり言って、それまで自分のエゴを押し殺して生きるなんて、ナンセンスです。生きている意味がありません。
エゴというのは、それぞれ個人の特性、ユニークさと考えれば良いのです。何と言っても、人と違う自分が正しいか間違っているかが、大抵の人にとって心配なんですから。
それにしても何故皆同じで、安心する世の中になってしまったのでしょうねえ?
十人十色という言葉を、御存知ですよねえ? 同じ人間は、この世に存在しないという事です。東洋医学では脈をみますが、同じ脈の人は誰もこの世に存在しないのですよ。DNAも、そうでしょ?皆違って当たり前なんです。貴方が正しければ、誰かが間違いで、貴方が間違っているなら、誰かが正しいわけです。となると、正しいかどうかはどっちでも良いでしょう?
この世で正しい物は唯一つ、自然のルールのみです。そして地球上のルールは唯一つ、重力という力に従う事。何故なら、重力だけが何としても曲げる事の出来ない存在だからです。重力に伴って、生物は進化してきました。天候によって、身体にかかる重力の重さが変化したからです。重力自体は変化しないけれど、それと共に存在する全ての生物達は自分たちのルールを重力に見合うように曲げたり延ばしたりしながら、生き延びてきているわけです。この地球上で、変化しない物は重力の働きだけ。貴方が正しいか間違っているかは、重力に従っているか否かの違いなのです。肉体を持つ限り、重力を無視して生きる事は出来ません。
そうすると、生きる上で大切なのは重力というルールに従っているかどうかだけです。
その場限り、誰かに勝っても、あるいは勝ったと思っても、もしそれが自然の重力のルールに合っていなければ、後にその勝ちという結果はリジェクトされる事になります。勿論本人がそれに気がつくまでに、とっても長い時間無駄にする事になるか、すぐに気がついて明るい未来に進むための学びとするかの選択によって、その事柄の意味が変わってきます。
間違いを起こしたと、気がついたならばなるべく早く素直に認めて、その間違いを修正すべく、心がけるのが、本当の意味での勝ちなんですけど・・・・。
この必ずいつも勝たないと気がすまない人達が、自分の間違いを認めるには、大抵とっても長い時間がかかるんですよ。あるいは気がついていても、気がつかない振りをしたりとか。
私の知り合いの御夫婦に、奥さんが「神様は、何時でも私の見方なの。だから何時だって私がいう事が、正しいに決まっている。」と言った事に対して、旦那さんが「何時も正しい人間なんてあるわけがない。それは変な話だ。」と憤慨していた事がありました。
私も昔は、正しいか否か、勝つか負けるか、とっても意識して生きていました。でも、自分にとって大切な事を追求しているうちに、そういった考え方が自分の明るい未来を邪魔している事に気がつき、そういう悪い癖を止めるために集中的に修行したのです。ですから、この「必ず、勝たなければ気がすまない人達」のエネルギーや姿勢を、今はヒーラーとして嗅ぎ取る事が出来るのです。
自分を愛する事を学んでいくと、勝ち負けで自分の価値を決めているうちは、そのゴールとはほぼ真反対に自分を位置させている事になります。また真の愛に向かわない限り、「必ず、勝たなければ(正しくなければ)気がすまない人」を止める事は出来ません。愛と勝負のコンセプトは、重力学的にも両立しないと思います。それは、勝ち負けを気にしている時の姿勢と、愛その物の時に姿勢が同じではない事を見ても明らかなのです。勝負を気にしている時の姿勢は、緊張して身体も心もクローズしています。愛その物の姿勢は、柔らかく身体も心も開いた姿勢です。
さて、皆さんはこの両極端な二つの姿勢のどの辺りにいるのでしょう?
愛の姿勢を0としましょう。勝負(正負)を気にする姿勢を10としましょう。
貴方の魂はいくつぐらいの所まで、成長していますか?