スピリチュアリティ向上における、肉体の重要性

0
458

私のこのブログにも、沢山のスピリチュアルに興味のある方々がアクセスしていらっしゃいます。

わたしも一時期スピリチュアルにはまって、散々トレーニングを積んでいた時期があります。スピリチュアルを始めるまで、徹底的にフィジカリティを学んできた私は、スピリチュアリティを学んでいても、勿論フィジカリティの大切さを感じない時はありませんでした。このフィジカリティを解り安くいうなら、肉体の機能性と生命エネルギーです。

特に肉体の機能性のうち、正しい姿勢、もっと突き詰めるならアラインメントです。 立つというポーズ(動かない)の姿勢以上に、動きの姿勢、動きから動きへの変化中の身体のあり方などです。

このフィジカルな世界も、ノン・フィジカルな世界も、一通り学びつくした時に、どうしようかと迷いました。自分のビジネスの方向性、マーケティング、教える時のポイントなど、全ての面でどちらに自分のフォーカスを置くべきなのか、解らなくなってしまったんですねえ。そんな時、ある友人との会話で「両方やればいいじゃん!」と彼、「そうねえ。」と私、という事になり、クライアントが来る毎に、その日その人に必要な面から指導するという、スーパー臨機応変、悪く言うと、ノン・ストラクチュラル、または型にはまらない、完全に自分の感に頼る・・・・プラクティスをしてました。

そうしていく内に、この全然反対に思えるフィジカル(フィトネスとか、フィジカル・セラピーなど)と、ノン・フィジカル(禅の教えや、オーラ、霊的な物や考え、エネルギーなど)が一つである事、そしてどう一つであるのかという定義、メカ二ズム、機能などが、見えるようになっていったのです。

このノン・フィジカルとフィジカルは、陰陽や善悪などと同じ関係にあるのです。つまり一つの物の二つの局面であるという事です。ただ面が広すぎて把握しにくのが難点なんですね。大抵の心身の健康をサポートするセラピーやヒーリングのメソッドが、片方にしかフォーカスしていない所に、問題がある事も解りました。得にスピリチュアル系のメソッドは、肉体の存在を疎かにする傾向にあります。先生方が物理や化学に弱かったり、肉体の機能がいかに人の心理に影響を及ぼすかとか、どういうメカニズムになっているかとか、全くもって学んでいないという所に問題があると思います。

私も物理は高校の時一回だけ0点を取った事があるほど、チンプンカンでしたので、高校の教科書を買って勉強しなおしました。クライアントに物理学者の卵がいたので、セッションとエクスチェンジで教えてもらったり、ああ、家の旦那がエンジニアで、物理を解り易く教えてくれたのも、良かったです。化学も同様。

私がここ1年くらいMakikomethodを教えている二人の心理学のPhD(博士)がいますが、全く身体について無知で、びっくりします。心理学を学ぶのにアナトミーとフィジオロジーを、勉強する必要がないんですかねえ?特に私たちのムードを司る、自律神経とか、ホルモンとか・・・・。この人達は、人生につまづくのは、考え方だけが問題だと思っているんですかねえ?

こういった精神論のアイディアリストたちは、「正しいスピリチュアリティ」を学ぶのに、本を読んで、考えただけでそんなにクルクル人間の思考の仕方が変われると思っているんですかねえ? お菓子食べながら、つまり神経を逆なでしながら、そこで神様を見方につけようなんて姑息な事を考えている人・・・・・、いったいどういうつもりなんでしょう?

先ず、ノン・フィジカルな物とフィジカルな物は、一体である事を知ってください。特にこの重力の働く地球で、肉体という物体なしにノン・フィジカルな皆さんの夢を現実にする事は出来ません。なんてったって何時までも貴方の頭の中で、グルグル考えていったってそれを他の人の目に見えるように、あるいは肌で感じられるように、耳に聞こえるようにするには、肉体という物質的な媒体がなければ無理です。

死んで肉体が滅び魂が永遠に残るのは、確かにそうです。でも、今現世において皆さんの夢を現実化してくれるのは皆さんの肉体です。つまり皆さんの魂の現実=真実を、体現しているのが肉体です。そしてもう一つ、この魂と、肉体の間に、皆さんはエゴという層を持っています。エどんなに皆さんの意識が自分のエゴの存在を無視して、清く正しく美しい魂と一緒にいようとしても、皆さんの肉体に、皆さんのそのエゴに向かっていない非現実的な態度が、現われてしまいます。もし、本当にスピリチュアルを極めたいなら、魂の住む神社みたいな物である肉体も、清く正しく美しく極めなければならないわけです。お解かり?

肉体を無視して、夢の中に生きる夢見る夢子を生きるのが、ゴールならそれでも良いでしょう。でも、好い男と結婚したいとか、もっとお金が欲しいとか、自分の子供が良い学校に入りますようにとか、成功したい、有名になりたい・・・・といった、「~したいのにできない病」という悩みが高じて、その苦しさから逃れるために、あるいはそれを解決する答えを探して、スピリチュアルに入るわけですよねえ。それで、その上手く行っていない人生の状況を受容れて、そんな人生もあるさ~と、諦めの境地を得るのがスピリチュアルを学んでいるゴールじゃあないですよねえ?

やっぱり上手く行っていないと感じる原因になっている物質的な状況を、何とか打開して、キャリアも、お金も、男も・・・人生が上手く行っているという証を、結局どこかで求めているわけですよねえ? つまりフィジカルな面でどう満足する事になるかというのは、スピリチュアル上の成長、あるいは向上のマーキングとしても、重要なわけです。

いかがですか?

(続く)