前回からの続きです。
皆さん、解りますか?問題が無いのが、良い人生ではないのですよ。人生やっている間は、問題が次から次へと飛び込んでくるのが、人生です。何故かって?人生と言うのは、飛び込んでくる問題を一つ一つ解決しながら成長していくのが、道だからですよ。
何にもしないで、ポケーっとしているうちに何時の間にか死んでたなんて、とっても間抜けでしょ? 亡くなって49日たつと御霊前から御仏前に格上げされるわけですが、仏になってもポケーっとしていたら、ちっともありがたくないですよねえ。
っと冗談はさておき、人生に必ずいろいろな問題と言うより課題がきます。この課題は、皆さんに御自分を学んで頂くために、神様が与えてくださる物と、お考えください。
それで、この課題を解く度に「成長の痛み」が起こります。出産の痛みと同様に、何か新らしい物が生まれる時に必ず伴う痛みです。英語では、Growing Pain ですね。嵐が吹き荒れて、いろいろな恐い思いをしたりせっかく作った建物や街が壊れた後、太陽が照って希望の光が見えるような感じと似ています。またこの場合、新しい自分を生むための痛みだと言えるでしょう。それを脱皮と呼びます。蝶々が、芋虫から成長し、自分の子供の時からの殻を破って、美しい大人になるのと同じ事です。虫だって未だにちゃ~んとやっているのに、この成長の痛みに尻込みする、脳みその発達しすぎたお馬鹿な人間が多すぎるという事です。
人間のその成長の痛みを伴うプロセスのゴールは何かと言いますと、それが皆さんの求めている無条件の愛なんです。このブログでも何度かお話していますように、無条件の愛とは、私たちが何かする・・・といった行動ではなく、私たちが成る物なのです。そのためには、成長を続け、痛みを経験し、強く柔らかく賢くなっていくのがその工程です。 ですから、この成長の痛みを避けている人達は、何時まで経っても真の心の平和=無条件の愛には至らないという事になります。
それで問題、つまり課題にぶち当たらない人生は、成長出来ない人生という事になるわけです。課題を与えられない人は、誰もいません。何故なら、数回前のブログでもお話したように、「素晴らしい能力を持たない人は、1人もいない。」と言うのが、人間界の鉄則なので、必ずこの素晴らしい能力にその人が到達できるよう、順番に優しい試練から難しい試練へとアドヴァンス・レベルの課題を与えられるように、このスペースの仕組みが出来ています。
皆さんが初級をこなして、次の中級レベルにチャレンジする準備が出来た時には、その皆さんのレベルにあった課題が与えられるわけです。その時に何らかの理由で、貴方がそれを拒否したりは出来ません。来るべき物は拒まず、去るものは追わずのルールに従い、与えられた経験は、きちんとこなさないと次に行かれないように出来ています。ところが、これが現代人の多くの心身の問題の原因ですが、体も心も固めて与えられた課題を無視するのです。課題に触れると、その触れた瞬間に私たちの化学反応が起こり始めて、感情というエネルギーを作り出します。でも、その感情というエネルギーを外へ出さないように、自分を表現しないように止めてしまう事が良しとされる長~い時の流れと共に、私たちは自分の感情を出すと言う必要性を無視する事に慣れっこになってしまっているのです。
例えば、病気にならないのが良い事ではなく、病気になっても治す事のできる体を作る、何か仕事でミスをしても、そこから立ち直れる、夫婦や親子関係が上手く行かなくても、何時かお互いを許せる・・・など、問題が起きた時に、問題を解決できる、そして解決する事を通して新たな自分の能力を発見して行く、そういうスーズなエネルギーの流れを確保していく事が大切な事なのです。
スピリチュアルを練習する方々で、ホーリー・スピリットに解決してもらったり、神様に頼んで自分だけには悪いとされる事が起こらないようにしてもらうなどと言った事は、無条件の愛を学ぶと言う本来の人生の目的とそぐわないばかりか、とってもエゴイスティックだと私は思います。
では、どうしたら問題を過剰ストレスとせず、柔軟に解決する力を育むかです。
(続く)