昨日、久しぶりに会った友人との会話がとてもインスパイアリングだったので、書いて見ます。
彼は結婚して5年、4歳になる女の子がいます。とても家庭を大事にしている様子がうかがえます。でも、久しぶりに話してみて、何とは具体的には言わないけれど何かに迷いがあるのがわかりました。うちも結婚4周年を、コスタリカで祝ったばかりで、自然と結婚生活の話になりました。
「どう?上手くいっている・・・・?」と彼に聞かれて、「そりゃあ、もう、と~っても上手く行っているわよ。」・・・と始まって、
どちらが結婚を決めたのかという話で、「私が、決めたのよ。だって彼ったら1回目の結婚に失敗して、第2回目の私との結婚を躊躇していたの。”俺は結婚がどんなに難しいか知っている。結婚ていうのは、そんなに簡単じゃあないんだよ。”っとまるで結婚の全てを知っているみたいな態度だったの。」
わたしにとって、それは結婚を知っている事にはなりません。失敗しているという事は、結婚という物を知らないから失敗したのであって、知っていたら失敗しませんよねえ。それにもしそれを知っていると呼ぶなら、彼は結婚の反面しか知らないわけで、成功した結婚はしらない事になります。一般常識的に考えて、半分物事を知っている・・・しかもかなり個人的な狭いレベルで・・・を知っていると呼ぶこと事態、腑に落ちませんよねえ。
大抵何かに尻込みをする人達の態度は、これですよ。つまり自分がチャレンジできない臆病者である事をカモフラージュするために。尤もらしい大義名分をつくって、逃げ腰になっているんです。これ、家の旦那でなくても、私が一番敏感にリジェくとする人間のパターンなんです。
私の友達は、ここでもう興味津々。「それで、どうしたの?」
「貴方は結婚の失敗の仕方は知っているけれど、成功の仕方は知らないじゃない!言っておくけれど、私はこの結婚を失敗するつもりは毛頭無いわよ。私の結婚に、離婚というチョイスはないの。」と、そう言ってやったんです。彼の顔が、ハッと変わって面の皮が一枚向けた瞬間でした。
面の皮について、ここで御説明しますが、これはエゴの層です。エゴ、つまり人生対する不安が厚い黒い雲のように、皆さんの太陽のように光り輝く魂を覆い隠しているわけですが、エゴの層が厚ければ厚いほど、面の皮は物質的に厚くなります。自分を素直に表現しない人は、使う表情筋が自分の頭で考えてその場に適していると思われる表情を作るので、不自然です。不自然な事をしている人は、緊張しているので体もそうですが、この表情筋が’強張ってしまいます。そこでやるのが、フェイク・スマイル(作り笑い?)っで、この面の皮が厚くなるとどうなるかというと色々な人生の出来事に対して、益々真の自分を表現、あるいは体現できなく、あるいはしなくなります。顔の表情筋は運動する場所としない部位によって運動量に差が出来てしまい、そのギャップが年齢に合わない小皺や、お肌のたるみの原因になります。運動しない筋肉は勿論循環がわるいので、青白く(時に青黒く)不健康状態に陥っていきます。そこにベッタリ厚化粧を’したりすれば、正に悪循環で、益々老化を促進しているような物です。
っと、ここで私の友達の顔も、ハッとしてました。「君の話は、アン・ビリーバブルだねえ。」「喧嘩したりはしないの?」
「勿論するわよ。でも、最近はグ~ンと喧嘩する機会も減ったわ。」
またここでこの友人は、興味津々。
っとここで彼がアメリカ生まれのアメリカ人でない事を、先ず確認。彼は明らかに白人ではないのですが、アメリカ人の特にWASPを軽蔑したサウンドで説明する時は、一応確認します。
WASP, White, Anglo-Saxon Protestant 、これは差別用語なのであまり大っぴらに使ってはいけません。でも、この言葉を教えてくれたのは、WASPの友人自身なので、ここで御紹介しちゃいます。典型的な白人(アメリカ、ヨーロッパ系)で、プロテスタント、つまりキリスト教でも新教の方。
「彼(家の旦那)も、アメリカで育っているから、WASP的考えが強かったの。っで、何か二人の間に矛盾が起こると、不満そうなのに、その不満を表現するのを拒否するの。でも、彼がイライラしているのは一目瞭然なのよ。それなのにOK,OK・・・なんでもOk・・・てな感じで、二人の間の問題から逃げるのよ。本当のWASPよりは悪くなかったけれど、この問題から逃げる態度が許せなかったの。私から逃げているような物でしょ。それでちゃんと喧嘩が出来る様になるのに時間がかかったわ。私は問題を置き去りにして、逃げるが大嫌いなの。問題が其処にあるのに、見えない振りして、楽しそうに振舞うなんて真っ平御免だわ。自分にも、相手にも嘘をついているのよ。失礼でしょ!」
「でも、彼は頭も良いし、基本的に心もオープンだったから、段々に表現する事の大切さを学んでいったの。私は、とってもエクスプレッシヴだからね。何度か取っ組み合いのレスリングもやったわ。勿論お互いにある程度コントロールはしていたけど、ある時彼が私を投げ転がしたらテーブルの角にもう少しで頭をぶつけそうになったりして。彼は、それをみて、一瞬怯んだの。だから言ってやったの ”あなたはとってもラッキーなのよ。私は合気道も練習していた事があるから、こんなところで馬鹿みたいに頭ぶつけて怪我したりしないの。” この後二人とも、拍子抜けして、喧嘩をするのがアホらしくなったわ。しかもレスリングのお陰で、リラックスして仲直り出来たの。解る?レスリングってスキンシップでしょ。心を開いて話し合ったも、同じ事なの。」
これが私の友人に大うけにうけて、彼は何時までも「そんな話は始めてだ!なんて感動的なんだ。信じられない!」と繰り返していました。
夫婦でなくても、相手の違いを認めてあげられなくなるのは、大抵自分が疲れていて心が狭くなっている時です。心身ともに疲れると、人間は心身ともに固くなり、他の人の違いを受容れるキャパシティが狭くなってしまうのです。10人10色に決まっているわけですから、矛盾なんてあって当たり前のはすです。つまり矛盾というのは、自然に起こる事象と言えるでしょう。その自然現象に対応出来なくなるほど、自分が疲れているのに、つまり自分が相手を受容れていないのに、相手が自分を受けれいれていないと言うイリュージョン(錯覚)を起こすわけです。それは、先の内の旦那の結婚を知っている知らない云々と同様、自分にとって上手く行かない事の責任を相手に転嫁して逃げているわけです。
旦那との4年間の結婚を通して、自分のイライラや怒りの原因が自分にある事を学んでからは、彼にイライラしなくなりました。イライラしてする時は、どうして自分のキャパが狭くなっているのか、自分の人生を振り返り反省します。 ああ、そうねえ、先週先々週はちょっと働きすぎだわ。今週は、あまりお客さんをスケジュールに入れすぎないように気をつけよう・・・とか、先週外食が続いて消化器官が疲れているんだ。だから情報過多になって、内蔵が疲れているんだ。とか、自分の存在とその周りで起こる事象の関係が良~く見えるようになったのです。ですから、彼のせいでイライラしているなどと、責任転嫁する事がなくなったのです。怒りの元は、何時だって自分の内側奥底にあるのです。
(続く)