まっすぐに生きる、心の姿勢 第七回目「退行前世療法との出会い2 」: 2013

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前回からの続きです。

私と父がやっぱり親子だった前世は、16世紀辺りの日本でした。父は名高い剣士で、私はその息子でした。父は私に剣で一番になる事を徹底して教えるのです。「二番じゃあ駄目だ、一番でなくては。」 言い回し、声の響き、そして言葉の周りにある雰囲気も、私が子供の時から散々言われて来た物と、ピッタリ同じでした。勿論、剣の世界ならニ番だと一番に殺されてしまう可能性がありますから、一番でないと駄目ですけどねえ。

私の負けず嫌いと完璧主義な性格は、父親譲りだったわけです。この性格をやりすぎると心身が緊張状態から緩む事がなく、人生のゴールに達する前に力尽きてしまったり、若くして病気になる典型的なパターンです。また周囲の人に寛容になれず、「許せない人間」を作ってしまいがちです。これじゃあ、先ず大物にはなれない。愛を育むためのパートナーが出来ても、いつもどちらが正しいかで喧嘩になって、相手を信じて受けれる事が出来ないと、なかなか人生が心豊にならないわけです。

この前世は戦国時代で、私と父は二方に別れて戦います。そして父が望んだように私は日本一に剣士になるんです。日本一の剣士だった父を殺す事で、彼を越えたのです。ただ父を刺す前に、自分が父に刺されて致命傷を負うんですね。それで結局、私の日本一はほんの数分で終わってしまいます。そんな数分の栄光のために心ならずも父を殺す事になり、とても後悔しながら父の屍の横で自分が死んで行く時に、一番かどうかなんて全く無意味だと心の底から思っている自分がいました。人生には、もっと大切な事が沢山あるのだと、改めて気がついたのです。その途端に、身体中に溜まっていた毒素が昇華され、心身共に急に軽くなったのが解りました。

母によれば、父は男の子が欲しかったようです。彼は無意識的に長男のイメージで私を育てたのだとしか説明のつかない思い出が多々あります。基本的には、私が女である事は尊重されているのですが。父の父、つまり私の祖父は優秀で成功した人でした。父はそんな祖父に追いつきたい思いと、追いつけないかもしれない不安との間にいたのでしょう。今世での自分は一番になれないかもしれないからこそ、長男の私に代わりになって欲しかったのかもしれません。

それまでの彼に対するスッキリしない思いを浄化するには、父を親以上に一人の人間として理解できるように、自分が人間として成長する必要があったのです。誰でも自分の両親には、偉大な人、成功した人であって欲しいという願いを持っています。自分の両親に限って、情けない人間でいて欲しくないのです。それは親と子が愛という切っても切れない縁でしっかり繋がっているからです。現実的には、両親も結局ただの人間なんです。

自分だって50才にもなって、まだまだ子供です。私が生まれたのは彼らがまだ20代半ばの時。彼らだって子供で当然なわけです。色々理不尽な理由で叱られて、納得の行かない事もありますが、互いの間違いに気づき、許しあい、素直に愛を表現しあえるようになる事が、自分の成長においてとても大切でなのです。私は彼が他界する前に、こういった心境に達する事が出来てとてもラッキーでした。