「ああすれば良かったのに、こうすれば良かったのに・・・・。」と、もう終わってしまった過去の事を愚痴愚痴言う人がいます。いったいこの人達は、何をしているのでしょう?
あの舞台は良かった、このパーティーは楽しかった、あのイベントは勉強になった、
どうして、貴方は来なかったの?
この自分と同じ事をしなかったお友達や知人をなじる人達は、実際いったい何をしているのでしょう?
1.どんなに自分が正しくて、来なかった人達が間違っているか証明しようとしている?
2.その場に参加した自分は何か得をして、その場に居合わせなかった人は損をしたと言っている?
考察:誘った相手が来なかったという事で、自分を認めてもらえなかった受容れてもらえなかったという、自分に対するジャッジメントをしている。つまり貴方は愛してくれていないと、なじっている。つまり、自分が愛されていないのではないかと、潜在意識的に思っているわけだ。自分が愛されたい友人・知人が自分の思うように愛してくれない事に傷つき、「目には目を、歯には歯を」の理論に基づき、自分を傷つけた相手を同じように傷つけようとしている・・・・・・・いわゆるリベンジ?
まあ、行かなかった人は「そうね、貴方はいい経験をして良かったね。いろいろ得になったね。」としか、答えようがない。もう終わってしまった過去なのだから。
10人十色、100人100色なので、全員が同じイベントを通さなければ同じような良い経験が出来ないとは思ない。
時間+場所+自分の存在=自分の人生である。誘ってもらったり、情報を提供してもらうのは、ありがたい事だけど、最終的にどの時間にどの場所に参加するかを選ぶのは、本人の自由である。
この誘う、情報を提供するという行動を、「無条件の愛」でするべきである。「せっかく誘ったのに、・・・・。」と言う苛立ちを感じるの人は「無条件の愛」ベースで行動しているのではなく、エゴ・ベースの行動をしているのだ。
そりゃあ、「犬も食わねえ!」(私、大学の頃、落研でしたので。落語って、面白いんですよ~って、また余計な事を。)
誘う側は、「的確に相手に必要な場所を言当てる場合」と、「感情的に要求する場合」と、2種類あると思う。この後者の場合、1.賛同してもらえる場合と2.拒否される場合、そして3.無視される場合とあると思う。この無視するというのは、皆さんの良くやる実は気になって仕方がないのに注意を向けない、あのやり方ではなく、本能的に興味のないので自分の本能に従ってしまったがゆえに、誘った側に無視したと思われる場合である。
前者の「的確に相手に必要な場所と時間を言当てる場合」は、本人も本能的にメッセージをキャッチし、腑に落ちているはずなので、大抵誘われた場所に参加する。勿論その場所と時間が、自分の心の問題に触れる場合は、無意識的に避ける(逃げる)人もいるだろう。
っと、人間が選ぶ場所と時間のマッチングには、いろいろ裏づけが考えられる。
最終的には、別に何時何処にいても本人の自由だし、そこで何が起ころうとも本人の責任である。人生そのものが、全て本人の責任なのだから。
最近の私は、誘っても聞いてもらえなかった時に、イライラするのはうちの旦那と母だけである。父は、もういないので。要するに愛する人であればあるほど、自分の言った事を聞いてもらえないと、イライラしたり怒ったりするのである。
だったら、どうにもならない過去の事を愚痴愚痴言うより、正しく自分の愛を伝えるベターな方法があるだろうと思う。
私も「無条件の愛の正しい表現方法」について学ぶ最終段階に入り、うちの旦那と母を相手に猛勉強中である。