最近気がついたんですが、皆さんは愛を勘違いしていませんか?
愛というのは皆さんが、成る物であって、何かする事ではありません。
「Being」であって、「Doing」ではないのです。 これ英語の方が解りやすいですねえ。やっぱり日本は、愛を表になかなか出さないカルチャーだからでしょうか?
まあ、Anyway, ヨガをする、プレゼントをする、・・・・愛する・・・、ではないんですよ。愛は行動ではありません。解りますか?愛は、皆さんの存在その物です。
それで、愛=自分に成るにはどうしたら良いかですね。ああ、この事について何度かこのブログでも、ふれていますよね。
愛に成るという事は、人間として大人成るという事です。勿論皆さんの心が、大人になるわけです。体はでっかくなって、勝ってに大人と呼ばれる状態になりますが、思考や態度は、自分で自分を学んでいかないと大人になれません。
言いかえてみると、人間として本当に大人になるという事は、愛になるという事なんです。
老化するのとは違いますよ。歳ばかりとって、心が大人にならないとかえって老化しますし、老けて見えます。生き生きしていないんですねえ。
心が大人になるためには、人生に起こる経験から自分を学ぶ事が必要不可欠です。
経験には、二つの要素があります。
体感(体に起こる感覚)と 感情(心に起こる感覚)です。
体感が存在すれば、必ず感情が存在します。ですから、体が不調なのに心は平和とか、心が不安定なのに体は健康と言った状態は、存在しえないという事です。
それで、体の感覚を受容れる事が不得意な人と、心の感覚を受容れるのは不得意な人と、大抵は二つに問題が分かれます。まあ、心の感覚を受容れるのが不得意な人の方が、圧倒的に多いですけどね。何と言っても心の問題、つまり心理学的問題は、社会的に負のイメージが強いですからね。 でも、それは社会の間違ったイメージで、真実ではありません。
体の問題=心の問題です。OK?
それで、地球は愛を教える学校で、人生は愛を学ぶ方法(道)なんです。
それで、1年生、2年生・・・と、年齢によってやっぱり学ぶべき事がある程度決まっています。で、大体24歳ごろまでは、初級、その後30代、40代、50代・・・・と続きます。
最後はそれまで学んだ事を基本に、人生における応用力をつけながら、いよいよ最終課題である「愛になる」を学習していくわけです。この最終学年が何歳くらいで来るかは、個人差があります。
問題を後回しにせず、その場その場できちんと解決できる人は、結構若くてもこの最終学年に到達します。いつも問題を後回しにして、最後までやらない人は、下手をすると今世中にも到達しないかもしれません。
別に何時、愛になってもならなくても、本人の自由です。そんな事くらいで、神様は貴方を見限る事はありません。
(続く)