昨日の続きです。
怒り、悲しみ、哀しみ、心配、不安、驚き、喜び、これらの7つの感情はどれが良くてどれが悪いという上下関係にありません。7つとも人間として同じように学ぶ必要のある感情、つまり状態なんですねえ。この状態は、心の状態=身体の状態と言う二つで一つの状態です。
私のクライアントの中には、「心は幸せだけど、身体が幸せじゃあない。腰が痛いんだ。」と言って来る人がいると言う話を以前しました。
皆さんよろしいですか?身体の状態=心の状態ですよ。という事は、このクライアントの言葉にあるような事にはならないという事です。ねえ、私もそういうお客様がおこしになる時は、それとなく心と身体の繋がりをお教えするよう心がけますけどねえ。
何故か、心の痛みを受容れるのが現代人は苦手なんですねえ。
身体の何処かが痛かったら、気分だってスッキリしないでしょう?その反対に、何か心配ごとがあったら、体だって100%元気と言うわけには行きません。心がスッキリしなかったり、悩みがあったりする事は、別に悪い事でも何でもないんですよ。悩めば良いんです。人間悩まないと成長しないでしょ。言って見れば悩んでいる自分を認めるのって、素晴らしい事なんです。本当は。
悪いと思われる事も、良いと思われる事も、どちらも同じように人生の修行なんですから。
私も好きな修行を先にして、嫌い(食わず嫌い)な修行をずうっと後回しにしていた時期がありました。最後まで、残ったのは瞑想でした。元々ダンサーですからねえ、御尻を一所に落ち着けてじっと動かないでいるなんて、想像しただけでも大変そうで嫌でしたね。でもねえ、やるべき事から逃げ回っていると、結局もう他に選択肢がないと言う所まで追い込まれるんですよ。人生というのは、本当に上手く出来ています。さすが神様は、やり手でいらしゃる。
それを運命というんでしょうねえ。それで、抵抗するのを諦めて、嫌だと思っていた瞑想をかじってみるわけです。すると、なんと瞑想の素晴らしさにはまっちゃったりするんですねえ。
自分の不得意な物、嫌や所、駄目な所を見て受容れるのって、そんな感じですよ。
しかもねえ、自分の駄目な所と優れた所は表裏一体なんですねえ。
っで、さっきの7つの感情に戻りますが、この7つのうちのポジティブと呼ばれる感情とネガティヴと呼ばれる感情も、実は一つの物なんです。ですから、自分の中のネガティヴな感情を無視したり抑えつけたりすると、結果的にポジティヴな方も潰している事になってしまいます。という事で、自分を潰している事になってしまうんです。
そして皆さんが良くやるポジティブ・シンキングと呼ばれる行為ですが、あのネガティヴに思える事象が起こった時に、それが何なのか確かめもせずに受け入れを拒否し、いきなりポジティヴと思われる態度に飛び移るやり方ですが、実はあの態度自体とってもネガティヴですよ。
例えば、ある催眠療法の資格を持った私の友達は、転びそうになってお腹をテーブルの角にぶつけた時にすごく痛かったそうですが、「俺はこんな事でへこたれない」と思ったそうで、自己催眠をかけてぶつけた事を忘れてしまったいました。その結果、3週間たった頃から腰から足までしびれるような痛みが走るようになり、マッサージやカイロプラクターにいっても効果なく、私に泣きついてきたという事がありました。私が怪我を癒すと忘れていた痛みが、好転反応として出てきました。 もう本当に、アホ!って感じです。
この例のように、自分の身体の感覚を押さえつけて、自分の人生起こる事柄を心で、あるいは頭で受け入れないと、心と身体の間に時間的なギャップが出来てしまうみたいです。
そしてこの処理されていない、つまり始まっても終わっていない経験が、人生の宿題となって一生残ってしまい、その責任は経験を始めた本人にあるので、本人が責任を持って終わらせるまでついて回るという仕組みになっているのです。
この「経験を終わらせる」と言うのは、経験によって生じた身体のセンセーションと心のフィーリングと言う二つの状態が、感情(エモーション)という一つの状態である事を認識し、消化する事だと思います。消化された経験は、知識、知恵、豊な感性などとしてその人の能力の一部、あるいはその人間のエッセンスとして蓄えられるわけです。
人生に起こる事象は全てニュートラルです。善も悪もありません。
例えば、戦争。ねえ、戦いというのは程度の差こそあれ、結局皆やっているんですよ。戦争自体がネガティブかポジティブかは、見る人の立場によって違います。それに戦争がなかったら、平和が何だか解らないじゃあないですか。最近のいわゆる戦争は中東辺りを中心に起きていて、それを遠くから眺めている日本に住む日本人や、アメリカに住むアメリカ人たちはいわゆる平和という状態にある。でも、そのせっかく私達が置かれている平和に感謝しているでしょうか?国は戦争状態になくても、あるいは平和すぎるから、心の中で苦しんでいる人が増えている。若者達は、自分が何のために生きているのか理解できず、人生に満足できず、当然感謝できず、くだらない事で喧嘩をし・・・・・・・。(喧嘩だって戦争の一種ですよねえ。)
戦争の起こっている国に住む人達は、明日は無いかもしれない今日のために、食べる物なんか無くたって、お金なんかなくたって、一日一日を大切に生きていて、心の中の平和を実感しているかもしれない。
そう考えると、結局いつも自分に満足しないのが、愚かな人間の習性(ある意味ネイチャー)という事かもしれないわけです。なあんだ、それが習性なら自分がネガティヴだろうがポジティヴだろうが、気にしても仕方がないという事になりますよねえ。
駄目でも何でも、あるがままの自分を受容れるしかないって事じゃあないですか。
(続く)