何をしたいか解らない人達というのは、御自分の真の能力を知らない人達なんですねえ。多分、大きくなるまでに自分の能力で生きてきていないのではないでしょうか?
75歳になる母が、そういう感覚を知らないのは、流石に戦争を体験して必死に生きてきた経験があるからだと思うんですよ。
必死に生きるなんて事をしなくても、取り合えず生きて来れちゃっている人達に、このようなシンドロームが広まっているのではないでしょうか?
生活に必要な物は何でもそろっていたか、親がそろえてくれて、生活必需品を得るのに努力なんてした事がないんです。必需品の100倍の物質に囲まれて生きてきたのではないですか?
私が日本からアメリカに移り住んだ23年前から今まで、日本から来る若い旅行者の服装を思い返してみると、もしかしてこの旅行のためにわざわざ買ったのかと思うような新品のブランド物に身を包んでいましたよねえ。
あれってもう、いかにも私は旅行者ですと言っているようなものなんですけどねえ。そりゃあ勿論旅行者だから、当然なんですけどね。 しかしながら、ブランドを着る事で価値を上げなければ、自身を持って立って歩けないとなると、ちょっと困りますよねえ。そのブランド物も、旅行費用も、もしかして親に出してもらっていたりとかねえ。
つまり一人の人間の大人として育っていないんですよ。
大人として一人前になっていく方向に、自分の目を向ける事が必要なわけですが、この現代社会に生きる大人と呼ばれる人達が、充分に育っていなかったりする。という事で、当然若者達は、誰をお手本にしたら良いか解らないまま年だけ大人になってしまった。年の数は、大人になったけれど、心身のバランスが大人として熟成していないので、突然オッポリ出されても、いざどうして良いのか解らない。
しかも、失敗するのはいけない、成功しなければいけない、貧乏じゃあいけない、あれも駄目、これも駄目・・・・・駄目な事だらけで、何をしたいのか、何をしたら「貴方は素晴らしい」と言って貰えるのか、解らないのでしょうね。
実は何もしなくても、全員素晴らしいんですけどねえ。だから、他人にどう思われるか気にするなんて無駄な事に、時間、お金、労力を費やすのを止めて、やれそうな事から試してみたら良いんですけどねえ。