脱皮する度に、私たちはいわゆる真の自分の在るべき姿に近づく。
親から教え込まれた考え方から自分の本来の考え方に進化し、社会から練りこまれた自分のイメージから脱出するのだ。つまり自分の自然な姿に帰るといった方が良いだろう。それを「成長」と呼ぶ。
先日のセッション中である私のクライアントは、変わりたいけれど今までの自分を諦めたくない自分がいるのだと気づいた。
でも、今までの自分が無くなってしまうわけではない。
たとえ今までの自分がいかなる状態であっても、それが在ったからこそ次のステップに行く事が出来るのである。そしてどんなに不満足な自分あっても、自分の通ってきた自分史に、誰だって愛着がある。勿論それで良いのだ。
人間と言うのは向上心というのがどうも悪い癖のようで、常に先へ先へ進んでいかないと満足しない動物である。地球という丸いスペースに生まれてきてしまったがために、どちらの方向に進んでもリミットがない。つまりスペース的に、超自由なのである。もしかして、進んでいるつもりで、後ろへ戻っているという事も多々あったりして、なかなか前進するのが難しい。
難しくたってなんたって、時間的には前進する事を止められないのが人間の性なので、兎に角前進するしかない。
確実に自分の中心へ、別の言い方をするなら自分の真実に向かって前進するのが一番ストレスを作り出さない方法なのだが、この世の中には五万とその邪魔をする物が存在して、そんなに簡単に問屋はおろしてくれない。
(続く)