皆さんも、良く御存知のように私の最終的インタレストは、人間の姿勢。
だからメソッドの名前もMakiko Method-Posture Balanceなわけです。
姿勢と言うと多くの皆さんが勘違いし易いのが、あのやり方・・・・・。
無理やり胸を開こうとして、後ろへそっくり返る、お腹に力を入れて凹まし背筋をお箸のように真っ直ぐにしようとする・・・・、ぎゅうっと肩を下ろす・・・・、御尻をスクイーズして小さくみせようとする・・・・・あれです。
これらの方法は、全くのフェイク、カヴァー・アップ・・・・つまり嘘なわけです。
真に良い姿勢とは、何なのか?真に良い姿勢になるとどうなるのか?それが私の興味だったんですねえ。そして行き着いたのが、今のMakiko Method。
真に良い姿勢になると、元気になるんです。
そしてそのサブベネフィットとして、若返るし、やりたい事が何でも出来るようになる。人生が嬉しい、楽しいの連続で、大満足状態になる。お金も入るし、素敵な人とめぐり会う、などなど良い事尽くめになるんです。体も心も軽くなって、自由になるし、心配や不安なんて吹き飛んじゃうんですねえ。
真に良い姿勢状態に常にいられる様にするには、自分の真理を学ぶ必要がありますが、これがとっても楽しい。今まで知らなかった自分の可能性を知り、将来へ導かれて行く、あの感覚はアディクトになっちゃいます。
ねえ、ですからどうして私が、姿勢・健康オタクになったか御理解頂けると思いますが。はは~、これは余談です。
Anyway・・・それでねえ真に良い姿勢=重力学上骨格がバランス良く並んだ状態、になるとどういう感じになるかというと、
「猿」なんですねえ。
いやあ、私もねえ驚きましたよ。もう自分の感覚としては、え?これは「猿」でしょう。って感じなんです。 でも、鏡を見ると、美しく真っ直ぐ! Unbelievable! です。顔の表情も柔らかくなってリラックスした、まるでそれまでの自分とは別人が鏡の中にいますよ。
それでとっても大切な事に気がつくんです。いかに自分の思い込みで、身体の姿勢だけでなく、せっかく持っているいろいろな機能を封じ込めているか。ああでなければいけない、こうでなければいけないという、思い込み=エゴを自分の身体に着せて、わざわざ不自由にしているのは、お馬鹿な自分なんだってね。
だって、鏡で見て自分が猿でない事を確認しなかったら、私だってあの無理やり胸を開くやり方で、そっくり返っちゃいたい気分に駆られましたから。つまり頭の中にある自分のイメージと現実がいかにミスマッチかという事です。 もう本当に私って、お馬鹿!と大反省しました。
(変化した自分を受容れる心の余裕が出来てから経験しないと、鏡に映っている真実も目に入らない人が沢山います。ですからここは要注意!何にでも物には順序があるんですねえ。)
そして思うんですよ、人間てやっぱり動物なんだと。
自分の中に秘める、このパワフルな動物的バイタル・エネルギーとその画期的な身体機能と柔軟性にアクセス出来たら、それはもうスゴイ能力だと思いません?
人間は、2本の足に立ち脳みそを発達させて他の動物たちと一線を引いてきましたけど、その私たちは彼らとは違うんだというエゴが、実は自分たちの素晴らしい能力を束縛しているのではないでしょうか?
内在する動物的センス=直感・霊感を消滅させてしまっては、勿体ないです。
オーム真理教事件以来、スピリチュアルな臭いのするものが全て下火になった後、あのTV番組の「オーラの泉」のお陰で、スピリチュアルという言葉が堂々と使われるようになり、スピリチュアルである事は良い事だという認識が広まりました。
でも、このスピリチュアルと言うのは、人間の身体と精神をさらに分けてしまう口実になっているように私は感じるですよねえ。
上ばかり見すぎて、足元を見ない。「灯台元暗し」というのと、「全ての答えは自分の中にある」と言うのとは同じ意味ですし、「地に足をつける」と言うのは昔から言われてきた事だし・・・・。
人間というのは、地球に生きている限りこの物質的身体が着いて回るわけだし・・・。
人間として自然というのは、やっぱり何処かで動物なんじゃあないんでしょうか?
何時も書いているように、霊感=直感です。そして直感というのは動物的感なんですよねえ。
という事は、スピリチュアルを鍛えるためにも自分の中の動物的能力を忘れるわけには行かないという事です。そして、私はデカルトの心身二元論は人間達を間違った方向に導いていると思うし、身体の存在に目を向けずして、真の精神性もスピリチュアリティもありえないと思うのです。
さて、皆さんはどう思われますか?