「(自分の痛い所、悪い所・・・・を)、光を使って、癒してます。」とか、「ホーリースピリットを呼んで、治してもらいました。」とか、遠隔霊気やエネルギーヒーリングで、痛みを消す、症状を解消する・・・とか、してはいけません。
これらの皆さんがヒーリングと呼んでいる行為は、真のヒーリングではないのです。よ~く、よ~く考えてみてください。エネルギーを使おうが、霊気を使おうが、光を使おうが、これでは西洋医学のお医者さんと同じでしょ?原因を無視したまま、症状を変える、あるいは治す事は出来ないのです。
これをやってるから結局何時まで経っても、な~んも変わらないという事になるです。
私のセッションにいらっしゃる方は、大抵いろいろなヒーリングメソッドをグル~っと一周して最後に辿りつく方が多いです。それでヒーリングに関する専門用語を沢山知っていらっしゃる。でも専門用語は知っていても、使い方が解っていないんですねえ。
あるクライアントは、全身に力を入れてネガティブなエネルギーが絶対に自分の所へ来ないように、自分のエネルギーのバリアーを張っていましたよ。ですから彼女の身体は、エクササイズもしていないのに、筋肉モリモリなんです。しかもとっても硬い筋肉と関節で。
(脂肪分プリプリも困りますが、筋肉モリモリもエゴの現われです。心身のバランスの取れた、成長した人間は、身体の筋肉と脂肪もバランスも綺麗に取れています。)
「私に災難は来ないの、神様に守られているから。」と言うんです。
私にしてみれば、えええええええええええ~!ですよ。神様じゃあなくて、自分のエゴのバリアーを張っているんです。
良くあるのは、何時も待たなくても電車が必要な時に、ピタっと自分のために来てくれるとか、ああいうやつです。
物凄い自分の気のエネルギーを投じて、思ったように全てを動かすやり方です。それって単なる我侭でしょう。貴方の所にピタっと電車が来るようにするために、他の人達は必要以上に待たされているかもしれないんですから。 それに、じゃあ津波や地震などの災害に会う人は、神様に守られていないとでも、言うんですか?
真のスピリチュアリティは、来る物は拒まず、去る物は追わずの精神でなければいけません。そして、何が来ても動揺しない事。感情的にならず、冷静にその場に一番適した方法を選択できる事が真のスピリチュアリティです。自然に身の回りに起こる事象から、自分を学ぶのです。それが真のスピリチュアリティですよ。
強い気を使って、都合の悪い事から逃げていたのでは、人生を学ぶ事も魂の真の能力を学ぶ事も出来ないでしょう。
本当に、スピリチュアリティやってるつもりの人達の、御都合主義には厭きれてしまいます。
大体、ネガティヴなエネルギーはブロックする・・・云々と言った瞬間に、これは良いあれは悪いという利己的な判断をしているわけです。
その判断の基準になっているのは、エゴ=思い込みなわけです。
真のスピリチュアリティが、0判断なのは皆さんよ~くご存知ですよねえ。
この良い悪いをやっているうちは、まだまだ駄目なんですよ。そして先ずそれをやっている自分に気がつく練習をしなければ。ここがヒーリングの大きな第一歩なんです。
何と言ってもヒーリングの最終ゴールは、完全なる愛。つまり無条件の愛。
皆さん解ってますか?無条件なんですよ。だから良いとか悪いとかいったコンセプト自体が、そこにはもうないんです。悪い良いの基準があればあるほど、当然自分の判断する良い人と悪い人が出来てしまいます。つまり無条件の愛で繋がれない人が、地球上に増えちゃうわけです。
10人10色、100人100色ですから、み~んな、自分とは違って当たり前なんです。
例えば、
電車の中で、席をお年寄りに席を譲らない子供たちに目くじらを立ててしまう大人気ない大人が、本当にその子供たちより高級なのか? もしかするとその子供たちは可愛そうな事に、御両親から「お年寄りを大切にしないさい」などと教わってこなかったのかもしれないし、その子供たちの御両親こそが、もしかしたら彼らの御両親、つまり子供たちの祖父母をないがしろにしているのかもしれない。
そんな事も憂慮出来ない「私は正しい大人たち」が、本当に正しいのでしょうか?
こんな良くありがちな小さな例をとっても、実際に誰が悪くて誰が良いかなんて事は、見る人によって代わってしまいます。つまりこの世に、絶対良い物も絶対に悪い物もないという事でなのです
例えば、あるドアの事実は、ただのドアです。見る人によっては、入り口だったり出口だったりするわけですが、良いも悪いもありません。
究極のヒーリングというのは、そういうものでこの良い悪いの判断(思い込み)を取り払い、地球上に存在する全ての物事、及び事象について、事実を単なる事実として冷静に見ることが出来るようになる事でもあります。
(続く)