ちょうどこの「自分の人生、自分の責任」を書き始めた時に、久しぶりに「面倒くさい」と言う言葉を聞いてしまいました。
さすがにアメリカ生活23年目に入り、英語での生活が大半になってしばらく、いろいろな日本語の言い方を忘れてしまっています。
ある方とのお話の中に、「面倒くさい」という言葉を聞いて、とてもショックでした。
私自身の人生において「面倒くさい」と言う思い事がしばらくありません。最後にこの言葉を使ったのは何時だったか全く思い出せません。随分昔、若い頃にいろいろ面倒くさかったのは覚えています。
「面倒くさい」と言う言葉の裏には、やっても上手く行かないかもしれないとか、逆に損をするのではないかといった、エゴが隠されています。また、そういっただらしのない自分、または勇気のない自分に向かう事自体が嫌だといった尻込みするような態度(姿勢)も、あるでしょう。
私が彼女の健康を取り戻すためのご相談を受け、サジェスチョンをしていた時に、彼女の口から、「解ってはいるけど・・・・・・面倒くさいんですよ。」と。 その瞬間に彼女の魂が深く傷ついたのを、感じ取ってしまいました。私にとっても非常にショックでした。
自分の健康を取り戻すための生活改善のステップが「面倒ください」の一言で片付けられるなんて。彼女の魂のあまりに悲しいエネルギーに、私の方がその後しばらく放心状態でした。
この言葉とその行為は、自分の人生の責任をとっていない最たる物です。
彼女の魂が傷ついた時、まるで飼い主に酷い仕打ちを受けた子犬が鳴くような、キャイーンと言う悲鳴が聞こえたような気がしました。
「面倒くさい」人達には、とても小さな何でもないような事でも、変えたりするのは面倒くさいらしいです。小さな身の回りの事を自分のために改善する事が、次々にあれもこれも面倒くさくなってしまうようです。いわゆるお尻が重い人になってしまっているんです。
「面倒くさい」人達が、生き生きしていますか?魅力的に見えますか?幸せそうに見えますか?
何故「面倒くさい」人間になってしまうか御存知ですか? 真の自分を生きていないんです。それを知っていながら、改善する努力を長い間して来なかった。自分の現実に目を向けず、人生の問題を克服する努力をして来なかった。そういった方達が年齢を経る毎に、身体が重くなり、心が固まり、魂は不自由になって、やる気のない人間になっていくんです。
皆さん、本当にそれで良いんですか? 貴方がやる気にさえなれば、神様はいつでも助けてくれます。貴方がちょっとトライしてみようっと勇気を奮い起こせば、必ず全てが今までよりずうっと良い方向に動くんです。どちらの方向に自分の人生を動かしたいのか、それは自分次第です。
貴方の人生は、貴方の責任。 そして全ては貴方の自由なのです。
自分の人生の舵取りが上手になるには、ちょっとしたテクニックが必要です。昔は、生まれた時から大人になって社会に出るまでに、その基礎レベルを充分学べるように、社会の仕組みが上手く出来ていたんですねえ。人間として人生のお手本になる先輩達も沢山いましたし。 でも、最近の社会では、個人の利益追求に夢中になっている人が多すぎて、この欲張りで自信のない人間性に欠けた大人たちからそのテクニックを学ぶのは、確かにちょっと難しいです。 まあ、過去の事は変えられませんから文句を言っても仕方がありません。
その人生の舵取りテクニックをちょっと練習しなおせば、ちょっと努力すれば、人生が良い方向に動き出すんです。道に迷わなくなるし、迷ってもその迷路から簡単に軌道修正出来るようになります。
つまり「面倒くさい」事が、なくなります。そうして何をしていても楽しい生き生きとした自分を取り戻せるはずす。