その3.に、「失いたくない物が増えると、心が不満足になる」と書きました。
この「失いたくない物」と言うのは、大抵自分の執着なんです。「思い込み」とも言います。
これがなければ駄目だ!と思い込んでいる物という事です。不思議なのは、実は失っても大したことない物だったりするんですねえ。あるいは逆にない方が良い物だったりもします。
この思い込み=執着から解き放たれ、再び心が自由になるためには、「目から鱗」くらいの経験を?万回くらいする必要があります。
っで、此処で問題なのは、その「目から鱗」の経験の可能性に飛び込んで行く勇気があるかないかだと思います。多くの方が、自分の執着=思い込み(=エゴ)を変えなければいけないと思っているわけですが、その変化の可能性に飛び込んで行く事が出来ない。
飛び込んでみて失敗したら?とか、今より悪い状態になったら?とか、損をしたら?とか、思っているんですねえ。
でも問題は、そういったネガティヴな思い込みが何時どうやって自分の心にくっついてしまったかですよねえ。こういった思い込みや執着と言うのは、全ての人が人生の何処かで学んでしまうものなんですねえ。何故かって、それらの自分の思い込み=執着=エゴから、自分を学び、最終的に真の幸せとは何かという事を学んでいくのが人生と言う「自然の摂理」だからです。
隣の芝生は青く見えるかもしれませんが、実は誰もが同じような経験を通るように人生というのは出来ているようです。 勿論超えなければならない課題の大きさ、問題の深さはそれぞれ人によって違うようです。そこで出てくるのが輪廻転生と言う考え方で、今世だけでその人の人生を語る事は出来ないという事です。 今世で自分よりも幸せそうに見える人は、前世で苦労してきたかもしれないし、今世で苦労しても来世ではもっと生きやすい人生を与えられるかもしれないという事です。
ただそういったフィールドや、考え方の中で言われるのは、今世の問題を片付けずに逝ってしまうと、来世で大変ですよ、という事です。 何度も繰り返され前世から今世を通って来世まで、全ての人間が学ばなければならない必須科目というのがあるようです。
それは、
無条件に自分を、
1.許す事 (= 受け入れる事)
2.信じる事 (=受け入れる事)
3.愛する事(=受け入れる事)
です。
私はこれらの事を学んでいく過程として、Makiko Methodを作る事が出来たのです。
こういった事を、先生や本や誰かから、きちんと順番に教えてもらうというのが一般的でしょう。でも、神様は知っていたんですよ、私が話に聞いただけでは納得しないのを。色々な所へ出かけ、色々な人に出会い、自分の心身で実際に体験、経験し、試行錯誤しながら学んでいく方法を自然と選んでいったんですねえ。それが、私なんです。
英語で言えば、” You learned it the hard way.” ですね。「もっと簡単に学べたのに・・・・。」みたいな意味です。うちの旦那が、良く私に言う言葉です。
でもねえ、私はそういう自分と自分の人生がとっても気に入っているんです。大変な思いをしても、感動と気づきの沢山ある自分の人生が大好きなんです。
御存知ですか? 人間への進化の過程を支えたのは、自分のニーズに対する好奇心なんですよ。今でもそのセンスは、歩くと言う行動機能の中にしっかり残っています。
自分のニーズ・・・とは、自分はどうしたらもっと幸せになれるかという興味です。
短くすれば、「自分に対する興味」。
誰かを好きになるのと一緒ですね。 「彼に興味がある。」と言う言い方をしますよねえ。そこから、知れば知るほど好きになるんですねえ。 そしてその人をずうっと一緒にいる決心をするならば、その人を無条件で、許し、信じ、愛する 事を学ぶと言う過程を通っていくわけです。これらの事を学んでいく間には、自分のエゴ=執着=思い込みを知り、観察、研究して浄化していく、つまり捨て去っていかなければなりません。
つまり、自分への興味を持っているかどうかが、人生で学ばなければならない必須科目を達成できるかどうかの要になっているんです。
(続く)