先日書いた、河合先生のお言葉の中の初めの部分、
「根本は、本人の自ら癒す力に頼るより方法がなく。治療者が「治す」事はできないということである。」
そして「・・・・・・・(本人は)深い苦しみや悲しみに直面していかなくてはならない。」
この二つの認識が、プロのヒーラー達とそのクライアント達、双方に一番欠けているんですねえ。欠けているという事は、学ぶべき新たな事という事ですが。
クライアントさんたちがいろいろな心身の痛みを訴えてセッションにいらっしゃると、ついつい癒してあげたくなってしまうんですねえ。でも、これってヒーラーのエゴなんですよ。
何故かと聞きたい人がいらっしゃるでしょう?
答えは「自然の摂理」だからなんですねえ。
本人が治すのでなければ病気という名前の症状が消えても、それは対処療法にしかなりません。結局あとで、再びその解決されていない心身の問題が噴出してきます。それは病気の再発のように同じ形で繰り返される場合と、違った形で起こる場合と、二通りあります。どちらにしても、繰り返すたびに癒すのが困難になっていく事のが通常です。
私もこの点については身に付けるまでに、何年もかかりました。
苦しんでいるクライアントを、何もせずに見守るというのはとても難しい事です。さっきも書きましたけど、これこそが人間のエゴなんです。クライアントは、自分を癒す能力を持っています。実は全ての人が、自分を癒す能力を持って生まれてきているんですねえ。そして特に親子や夫婦、クライアントとヒーラー(セラピスト、ドクターなど)などといった関係では、相手が自らを癒していく過程を見守るお役目を任命されるんです。
ヒーラーはそのプロです。私たちは何もしないわけではないのですが、クライアントが自分の能力を信じる事が出来るようにガイドする、力づける、後押しをするといった事をするんですねえ。
良く私が使う表現は、「羊飼いのおばさん」。迷える子羊たちが間違った方向に行かないように、帰るべき御家に向かうようにガイドするんです。時には清水の舞台に立ったクライアントを、後ろからそっと背中を押すような事もするわけです。
でも決して、症状や病気を治してあげてはいけないんです。このクライアントの病気や痛みを治しているヒーラーは、「クライアントのネガティヴなエネルギーに当たって、具合が悪くなる」という状態に陥ったりします。この良く言われる現象ですが、クライアントのネガティヴなエネルギーに影響されているのではなく、そのヒーラー自身のエゴが焦げ付いて病気になるのです。
ヒーラーと言うのはクライアントとのセッションを通して自分を学び、ヒーラーとして人間として限りなく向上していくのが宿命です。人の振り見て我が振りなおすわけです。
私の知っている癌なども治せるとしていた女性のヒーラーもMS(Multiple Sclerosis)になって、ヒーラーを辞めなければならなくなりました。彼女は自らの魂の声が、聞こえなかったんですねえ。
この誰かが自らを癒すのを見守る仕事は、見守るほうにエゴが沢山あればあるほど辛いです。そこでついその見守る苦しみから逃れるために、手を出して助けてしまう。余計なお世話なんですねえ。
例えば自分の子供が転びそうになる。転んで痛い思いをする前に、いつもお母さんが助けてしまったのでは、その子供は転ぶという経験をする機会を逃してしまいます。転んで痛い思いをして、あるいは怪我をして自分の治癒力で回復するという経験を経て、人間として大きく強く育っていくのに、その機会を奪われてしまった子供は、自分の能力をどう生かしてよいか学ぶ事なく、強いという事がどういう事なのか知らずに大人のなってしまうのです。この子のお母さんは、子供の強さ、回復力を信じてあげる事が出来なかったという事になるのです。
勿論子供の内は、その子の能力を超えて何か問題が起こったなら、御両親がその問題から立ち直る手助けをしなければなりません。
最近の親子の関係で良くあるのは、普段忙しい御両親は本当にお子さんが貴方たちを必要とする時にそこにいないのに、その分を埋めようとするためか一緒にいる時に過保護になりすぎるといった、偏った子育てなのではないでしょうか?
ヒーラーとクライアントとの関係も全くこれと同じで、セッションにおいて過保護になりすぎてしまうわけですね。そしてそうされる事で、クライアント達は自らを癒す方法を学ばず、いつもヒーラーに頼るという事になっていくのです。