このタイトル、サーチエンジンに入って来たサブジェクトなんです。この三つの言葉から、うちのブログに行き着いたんですねえ。いったいどんな答えを探して、この三つの言葉を入れたのかなあと、気になりました。
でねえ、自分を受け入れていない人は横隔膜がきちんと動かないです。つまり呼吸が出来ない、あるいは呼吸し難いという事になります。
っで、この問題と「悩まないと、人生は思うように行かない その1と2」は、関係があります。
悩まない事に力を入れる、つまり自分を受け入れないと体が萎縮して堅くなると「その1」の中で書きました。っで、体が萎縮して堅くなると、横隔膜は充分に開く事が出来ません。充分に開かなければ、充分に収縮しません。つまり横隔膜はその空ポンプ機能を充分に発揮出来ないという事になります。
人生にとって自然であるはずの「悩む」と言う状態や時間を自分に許さなければ、その人は当然不自然な状態=苦しいという状態になります。
ねえ、解りますか? 体と心は一つなんですよ。 不思議でしょう? もうねえ、姿勢の研究をしながら、こういった事実を一つ一つ確認していくと、やがては人間という物が見えてくるんですねえ。その学んでいく課程が面白くて仕方がないんです。
ああ、失礼また脱線です。
話は戻りますが、悩むのも苦しいけれど、悩む事を止めるのも苦しいんですねえ。っで、どちらが懸命かというとやっぱり自然な苦しみを受け入れてなるべく早く問題を解決し、苦しみを超える方です。どちらにしても結局行き着く先は同じですので。
「自分」を「受け入れる」のでなければ、「自分を受け入れない」と言う状態になります。 その中間と言うのは、存在しません。
それは「愛」か、「愛」でないかというのと同じ問題です。ちょっと愛しているというのは、存在しません。
ははあ、「横隔膜、自分、受け入れる」から、大変なところへ来てしまいましたねえ。
でもねえ、今まで長い間姿勢を研究してきて言えるのは、ある意味で「姿勢って呼吸の仕方」なんですよ。 あっ!でも、あのヨガでやる呼吸とかそういう事じゃあないです。
何と言っても、呼吸って、自分の頭で考えて腹筋や背筋に力を入れたりしてニュートラライズ出来る様なそんな安易なメカニズムに出来ていないです。
これまでの人生を邪魔しているエゴ・システムが崩れた時、呼吸の仕方が大きく変化します。その時、それまで慣れ親しんできた自分と言う存在が一瞬消えるですねえ。物凄い不安がどっと襲ってくるような、そんな感じです。でもねえ、その自分の中の不安に負けず、嵐が去るのを静かに待つんですねえ。その後は、びっくりするくらい自分が強く柔らかく変化しているのが解りますよ。それまでの人生がリセットされるんです。
その時、貴方の横隔膜は「自分を受け入れた呼吸」を始めて体験するんですねえ。それを何度か繰り返すと、もうそれ以上、今世では変化出来ない場所に行き着くんでしょうねえ。
大体、何度繰り返すのかって? んんん、それは人によります。こういう事にアベレージはないんですよ。
あれ? また脱線かな? もう言いたい事が沢山あって収集がつかないんですねえ。 こういう時、私の心臓はドキドキしっぱなしになり、ナーバスなのかエキサイティングなのか、解らなくなるんですねえ。これねえ、生みの苦しみなんですよ。
もう直ぐ、何か生まれんです。どうしてナーバスではなくてエキサイティングだって解るのかって? んんん、ナーヴスな場合はイライラして、考える事がネガティブになるですよ。でもねえ、エキサイティングな時はなんかこうスキップしたいような感じなんです。区別出来る様に練習すると、解ってきます。 ああ、練習しないとちょっと難しいかもねえ。
あのう、このエキサイティングなドキドキをナーバスなイライラと勘違いしたり思い込んだりしていると、生まれる物も生まれないという事があります。 自分で自分のチャンスを駄目にしてしまうんですねえ。
ありゃりゃりゃ、もう「横隔膜、自分、受け入れる」から、随分遠いところまで着てしまったような気がするかもしれませんが、ぐる~っと回ると結局全部繋がっているんです。
どう収集をつけるか、もう少し考えます。反省・・・・・・・・・・。