(その2からの続き)
1990年にニューヨークに引越して以来2002年まで、全くの迷いなく突っ走って来て、やっと無い無いづくしから全てがそろった途端に、それまで感じた事の無かった不満足感というか、心の奥底のイライラを感じ始めたのです。それが「迷い」という感覚だと理解するまでに2~3ヶ月掛かったと記憶しています。
12年前よりも、物質的社会的には誰が見ても向上しているのに、心が貧しくなってしまったんですねえ。というか、物質的社会的に豊になりすぎたために、心が貧しくなってしまったんです。
今思うと、やっぱりこういった事もバランスがあるんですねえ。
何故かって? 若気の至りと言ってしまえば終わりですが、それまで以上に学ぶ必要があったからですね。もし、あの時に心の中の不満足感を無視していたら、あるいは気がつかないほどの鈍感だったら、今の私の幸せな自分はいないんですよ。あの時、物質的な満足に満足しなくて本当に良かったと思います。
自分の心中の奥に、自分でも見たくないような小さな黒い点みたいな物が存在する事が許せなかったんですねえ。
想像してみてください。真っ白いはずの壁にちょっとした染み見たいな物があったら、気になっちゃって、その白さに充分感謝できないような、そういう感じですね。
此処がその当時、超完璧主義だった私の良い所です。やあ、あれから完璧主義の有効な使い方について、散々学ぶ事になりましたね。
まあ、兎に角それでどうしたかというと:
もうねえ、私は自分の中に気になる事が出来ると、落ち着かなくなっちゃうんです。そういう性格ですから、仕方がないんですねえ。
それでねえ、決めたんです。その年(2002年)は、時間、お金、労力の全てをどんなにかかっても良いから、この不満足感の原因追求に費やそうと。
それだけ、この不満足感に危機感を感じていたんですねえ。
っで、いろいろやりました。講習会に行ったり、旅行をしたり、色々な人と会って話したり・・・・エトセトラ~。
それで、その年の終わりについに発見したんですよ。
「ああ~!これだったんだあ。私って、アホ!」みたいな感じでねえ。今思い出すと笑っちゃいますけどね。
(続く)