さっきやっと、今年の抱負が私の五臓六腑に落ちてきました。
「どんな小さな問題でも、絶対に自分から逃げない事!」
これは勿論今年だけではなく、人生一生の抱負なんですが、今年はさらにここにフォーカスして前進したいと思うんです。何故か、それが大切な気がします。
ああ、言っておきますが、抱負というのは考えて決める物ではありません。まだ若くて自分の人生のビギナーの人は、それで良いと思います。でも、40代後半くらいになったら、そろそろこの抱負が天から聞こえて来るぐらいに成長していたいものです。あっ、私今年50歳なんです。とっても楽しい人生の折り返し地点なんです。今まで出来なかったけど、50歳になるからこそ出来る事が沢山あるんです。
ねえ、良くお年を召して耳が遠くなるという事がありますが、天の声、自分の魂の声が聞こえなくなっちゃったら駄目ですよ。(成長と老化は、反対の意味ですよ。)
人生は「山あり谷あり」と言いますけど、山の上に立っている時は誰でも調子がいいわけです。谷を向いた時にどうするかという事です。
1990年に、ニューヨークへ引っ越してきて、もう20年以上になるんですねえ。当時、26歳でしたから、あと4年もたったらアメリカにいる時間が、日本にいた時間を超えちゃうんですよ。
振り返ると、とても不思議です。いったい私は日本人なのか、アメリカ人なのか、みたいな感覚になっちゃうんです。
でも、私は日本人である事をとても誇りに思っているんです。いつも日本てスゴイ、日本人てスゴイって思うんです。ただ、この私がニューヨークに住んでいる20年あまりの日本では、真の日本人としての自分という魂の在り方を学ぶ事が出来なかったのでしょうねえ。だから、自分の中に埋もれていた日本人の心を、一歩下がって外から見つめる事が出来るような環境に置かれたんですねえ。それが私の場合、ニューヨークだった。
アメリカにいる時間が長くなればなるほど、私ってやっぱり日本人なんだって感じるんですよ。
でもねえ、それが本当にわかるためには、日本人でもアメリカ人でもない、私という人間、さらには岡さんの家の牧子さんでもなく、誰にも何にも所属しない自分、ただの牧子を学ぶ必要があったんです。
それをねえ自覚したのは、10年前くらいでしたかねえ。「ああっ、私、自分に戻るんだ!」って思ったんです。この場合「自分」は、エゴを超えたところにある「自分」に戻るという事です。
エゴというのは社会や文化によって植えつけられた思い込みですが、それと同時に、真の自分を守る城壁みたいなものです。卵の黄身と殻の関係みたいな物です。充分に中身が熟したら、自分の内側に秘める本当の能力や良さを周囲の人達と共有するために、そしてさらに自分を成長させるために、自分で城壁を破らなければなりませんけどね。
多くの方々が、この時期に人生の停滞期を経験するんです。っで、さっきの人生の山と谷の話ですが、谷のどん底に落ちてしまったような気がするんですね。
ああ、こういった不思議な考え方も、私の場合、ある時から、突然ふっと五臓六腑に落ちて来るんです。
考えて思いつくわけではないんです。何時も突然、棚から牡丹餅みたいに、「はいっ、これね。これ次のテーマ、Ok? えっ?何のテーマかって、人生のテーマですよ。解りましたか!」って、天の声としか言いようのないエネルギーに、自分が包まれていく感じなんです。
新年の抱負は、神様から与えられる物なんですね。