私ねえ、自分で言うのも何ですけど、家の旦那をとっても愛しているし、人間として尊敬してます。彼は信じられないくいらい素晴らしい人間なんですよ。
今日ニューヨークは、クリスマス・イヴなんですよ。クリスマス・イヴって、キリストが生まれる前夜ですねえ。このホリデイ・シーズンには大くの人がオープンになって、心温まるシーンがあちらこちらで見られます。
今日お昼頃、最後の用足しにいつも行くスーパー・マーケットやドラッグ・ストアー(薬以外に、ペーパー・グッズ等が売られている)、郵便局などにいったんです。
それぞれのお店に入っていくなり、全ての従業員一人一人に、「どうした?元気か?・・・・Merry Christmas and Happy New Year to you!」って、とても元気良く声をかけるんですよ。まるで、昔からの知り合いに話ているみたいです。
声をかけられた方は、とても嬉しそうに軽い会話を交わし、「You too!」って言うんですねえ。
お店からお店へ移動する間三人のホームレスに出会ったんですが、これまた家の旦那はそれぞれに5ドル冊を渡して彼らの肩に手を当てて、「来年はきっと良くなるから、頑張れ・・・・・。」って。
いつも彼は、クリスマス・イヴだけでなく結構いつもこんな感じなんです。ホームレスのお友達もいたりして、彼女はいつも私たちが行くオーガニック・フードのお店の前に立ってるんですが、旦那は必ず幾らか渡しておしゃべりをするんです。
初め私は、ちょっと躊躇いました。何だか、恥ずかしい気がしてたんですよ。
でも、段々旦那のそういった光景を見ているうちに、彼に倣うようになれました。
不思議ですよ。彼は見ず知らずの他人に、まるでお友達のように、いきなり話かけるんです。っで、話しかけられた方も、まるでそれが当たり前の事のように、受け入れるんです。
あれは一種の特技ですねえ。
以前、家のスタジオで大パーティーを開いた時、大きなテーブルが必要になったんです。そうしたら、彼は「確か隣は、バーだったよねえ。あそこなら、持ってるよ。借りればいい・・・・・。」と、のたまうんですよ。私はそのバーに、入った事もなかったんですよ。結局、その時はビルの管理人から借りましたけど。もし、そうでなかったら彼は本当に交渉しに行っていたでしょうねえ。
普通の日本人の感覚では、ちょっとそれは理解不能ですよねえ。ああ、隣御近所良く知り合いだったような古い時代なら、OKですね。きっと。
また、これは数年前の事です。
チェルシー・マーケットにワイン屋さんがあるんですが、そこでギフト用にシャンペンを一ケース買ったんです。それを車まで運ぶ途中に、あるお婆さんが柱に持たれて立っていたんです。一人で寂しかったのでしょうねえ。ちょっと浮かない顔でした。
それを見た彼は、いきなりとっても元気良く「ハロー! 元気?・・・・・・。」といって、一本のシャンペンをケースから抜いて、彼女に差し出したんです。初め彼女はびっくりしてましたよ。でもとても嬉しそうにして、結局別れる時は元気になっていました。アン・ビリーバブル!です。
こんな風に、ニューヨークの喧騒の中で寂しそうにしているお年寄りの方達には、特にそうなんです。
彼は、毎年夏になるとセントラル・パークで無料のタンゴ・サロンを開くのが、趣味なんですね。タンゴを踊らなくても、沢山周りのイスに座って音楽を聴きながら踊っている人達を見るのを楽しみに来る人が沢山います。そんな中に、毎回欠かさずにいらっしゃる老後夫婦がいらっしゃるんです。昔ロシアから全てを捨ててアメリカに亡命し、苦労して生きていらっしゃった御夫婦です。
ある時、家の旦那は何を思ったか、またまたいきなり、「いつも来てくれて、どうもありがとう。」と言って、ワインボトルを渡したんです。奥様の方は、感動して泣いていました。「こちらこそ、素敵なタンゴをどうもありがとう。」って、二人ともとても嬉しそうでした。これだから、15年も続けているこのセントラルパーク・タンゴを止められないんだなあと思います。
ギフトやチップよりも、声をかけてくれる人がいる、気にしてくれる人がいる、自分の存在を認めてくれる人がいるという事が、彼らを幸せな気分にしているのだと、家の旦那のやり取りを見ていて思うんですよ。人間て自分という存在をそのまま認めてもらえる、受け入れてもらえるといった事が、実は重要な喜びなんだなあと彼を見ていて学びました。
こんな風に、元気を分けてあげる事が出来る家の旦那を、とっても尊敬しているんです。彼こそ、さり気なく真のヒーラーなんじゃないかと思っています。
手前味噌でした。失礼。