(エゴについて2.からの続き)
それでねえ、自分の内側を幸せで満たし、さらに自分の周りの人々が幸せになるためのお手伝いが出来るような状態になるにはどうしたら良いか、いろいろ研究しました。
先ず、自分をとことん見つめて自分の内側の嫌いな場所、幸せになれていない場所を探すんですねえ。それで、その「私の中の幸せでない場所」は何故幸せではないのか、理解出来るまで観察するんです。
これねえ、自分に心底惚れていないと出来ないかもねえ。でも自分に心底惚れるためにも必要なんですよねえ。そうすると卵が先か鶏が先かみたいな事になってしまうんですが、それが良くても悪くても、またそうする事が恐くても怖くなくても、自分の内側の問題から逃げずに目を向けていると、そのうちその固くなっていた自分の中の幸せでない部分が解けてくる・・・というか緩んでくるんですねえ。
ああ、言っておきますがこの自分の中の幸せでない部分が、過剰なエゴを作り出している根源ですからねえ。そしてこの過剰なエゴが、「完璧に幸せな自分」になれない原因です。
何度も言いますが、決してエゴが悪いわけではありません。 過剰なエゴが不味いんですねえ。ある意味肉体が存在する事自体、エゴですからねえ。この事については、後でゆっくり御説明したいと思いますが、兎に角エゴが内側から緩んでくるまで、潔くじっと我慢なんですねえ。
それで緩んでくると、どんなTPO(時、場、経験)に過剰反応しているのか、見えてきます。まあ、自分で見ようとしないと見えてきませんが。ここで便利なのが、退行療法ですね。でも、催眠療法の退行療法は過去に何があったのか見るには有効なんですが、この過剰なエゴを浄化するにはあまり効果がないです。催眠療法って自分のエゴが見えても、大抵は映画をみるような他人事で終わっちゃうんですよ。経験のある方も、いらっしゃるでしょ。特に、身体感覚が鈍感になって身体機能が衰えている人達は、催眠療法では浄化できないです。大体最近の催眠療法士たちの身体感覚が鈍っているので、エゴを浄化したい人は、心身が一つである事を良く理解しているセラピストを探す事をお勧めします。
私も3種類の催眠療法士の資格を持っていますけど、どれも私の求める物を満足させてくれなかったんです。だから良く解ります。
っで、ある時神様からメッセージが来たんですよ。此処へ行けって。
こういう事はねえ、私の人生に良くあります。私が知りたいと思って答えを探して苦労していると、ふと棚から牡丹餅みたいに、何処へ行けば良いか、どんな本を読めば良いか、あるいは出会う人とか、答えを出すための術みたいな物が、何と言ったらよいでしょうかねえ、降って来るといった感じです。
ああ、答えは自分で出さなければならないんですよ。正しい答えを見つけるための方法は教えてもらえるんですけど。 いいですか?答えは、何時でも自分で見つけるんです。他の人は、貴方の答えを出す事など出来ません。何故かって? んんんんんん、それが人間のネイチャーだからでしょうねえ。
ああそれから、全ての答えは御自分の内側にあるんですよ。
その貴方の魂というか、真の自分というかですねえ、と一緒にあるんです。この全てついての皆さんの答えはゴミみたいな皆さんのエゴの奥~の方に埋もれているんです。だからこそ、自分のエゴを浄化したいんですねえ。このゴミみたいなエゴたちを少しずつ溶かして浄化していくと、求めていた事が見つかると同時に、自分の真の能力と繋がって行き、結果的に本当の自分に戻る、というように人生のシステムが出来ているんです。
知ってますよ。 ねえ、私たちは小さい頃から学校に行って答えを貰ってくるように教育されていますよねえ。特に、テストが合理化されてマルティプル・チョイス用の教育がいきわたるようになってからは、自分で自分の答えを出す教育から、正しいとされる答えを記憶させられるだけの教育になってしまってるんですねえ。だから最近の若い人達は、自分の答えを知らないし、自分の答えを出す方法を教わって来ていないですねえ。当然、自分という物を知らないという事に陥るわけです。それで、学校のシステムが終わって、いよいよ社会に出て自分を生かす時になって、自分を生かせないフラストレーションに直面するんでしょうねえ。
でもねえ、もう一度言いますが、全ての答えは自分の中にあるんです。だから、自分で答えを出していく練習を先ずしないと、自分の真の中身と繋がる事が出来ない=自分を知らない=自信がない、になっていっちゃうんですねえ。
ねえ、堂々巡りでしょ? このねえサイクルを作り出しているのは今のマテリアリズムに傾き過ぎてキャピタリズムに走りすぎた社会なんですねえ。でも、「人生に起こる事は、全て必然。」
だから、何時か自分でこの最悪な堂々巡りから抜け出して、真の自分と出会うという事をしなければならないんですねえ。ああ、もし貴方がそれを望むなら、ですよ。
それが今の世の中に生まれた理由なんですねえ。そういう人生の課題が与えられているんです。
「人生の課題」って、何だか知っていますか? あのねえ、沢山の人がこうやって「」で、タイトルつけて解ったような不利してますけど、ちゃんと説明出来なければ、解った事にはならないですよ。特に日本でちょっと前に流行っていた「スピリチュアリティ」をやっている人は、良く考えて欲しいです。っでないと、同じ事の堂々巡りで時間も労力も尽きて、結局心が満足しないままになっちゃいますよ。
人生の課題には、極大から極小までいろいろあります。それは、簡単だったり難しかったりする、ドリルのような物です。中には、この課題に正しい答えを出さないと、その後ずうっと間違って行っちゃったりする、あの時々、学校のテストにあるようなシステムの物もあります。でも、ドリルだと思えば良いですよ。
何でそんなに難しいかって? それはねえ、さっきも触れたようにこの社会の仕組みが、その問題の解き方を教えてくれない、あるいはそういう事を学ぶのを邪魔するような社会になっているからです。
(まだまだ続く)