「ミスをするのが恐い」人は、無条件の愛に飢えているわけです。ミスをしたら、愛してもらえないのではないかというFear(恐怖感)が心の奥のほうにしまわれているんですねえ。
誰に愛されない事に飢えているのかって? 誰でもない、自分ですよ。
自分に無条件の愛を注いでないんです。無条件ですよ。馬鹿でもチョンでも、良いんです。本当の愛ってそういうものでしょう?ようするに、皆と同じでない自分を受け入れるという事が出来ていないわけです。でも、100人100色、どんなに頑張っても他の人にはなれないんだから!
自分に基準をおいて生きていないんですよ、そういう人は。周りの人達が基準になってしまっているんです。前のブログに書いたでしょ?「都合のために生きるのはやめよう!」って。そういう事です。
何時から、自分に基準をおかない人生が始まったんでしょうねえ? お母さんのお腹にいた時からですよ。
ちょっと専門的な話になってしまいますが、私達人間が、恐怖感=エゴなしにいられるのは胎児である最初の7週間までです。この時、私達はまだ手も足もないミミズのような状態なんですね。脳みそもありません。
体幹は、この一番始めの7週間までに人間の運動能力の基礎である動きをほぼ確実に成長させます。この体幹だけだった時の動きは、サイドベンドだけ。身体全体を右か左に曲げるだけ。
イメージできますか?手足は未だないんです。頭と首も胴体との区別がないです。ミミズです。それも左右にウェーブするミミズです。右に行きたいと思ったら、すでに右に曲がり、左に行きたいと思ったら左にもう曲がっているんです。思った事がその場で起こる状態なんです。
そう言えば、小さい子たちがこの左右に身体を揺らすような動きをしているのを時々見かけます。
良いも悪いも意識の中にないから、ミスもないんですね。7週間と言ったら2ヶ月足らず。ちょうどこの辺でお母さんが、あれ?生理がないなあ。変だなあと、自分の中の赤ちゃんの存在に気づく頃までです。
この辺から、2~3週間かけて、手足の元がミミズから分裂し始めます。そしてお母さんの、子供との繋がり(思い)も作られ始めるわけです。この間に、左右のシンプルな動きに加えて、仰け反るようなバックストレッチみたいな動きが出来るようになってきます。多分この辺から自分の前後のスペース感覚が出来始めるのではないでしょうか?そして、エゴの芽みたいな物も植えつけられるんですねえ。
ちなみに、人間の前後のスペースへの深層心理的感覚は、未来と過去です。左右は、視野の広さです。姿勢の悪い人は、基本的に、視野が狭いです。先が見通せませんから、未来に向かうのも恐いです。ああ、ここで繋がってきますねえ。こういう人達は、「ミスをするのが恐い」ですね。
なるほど、この前後の区別つまり未来と過去の時間的センスが出来てくる事によって、エゴと言うコンセプトが人生に生じるんですねえ。未来に進む能力=本能(誰でも持っている)が、自分の中で強ければ、未来に進む恐怖=エゴはそんなに脅威的(実は驚異的だと思うんですけど)にはなりません。でも、なんらかの影響で、自分の本能を見失ってしまう事でエゴが育つんですねえ。
言っておきますが、エゴは良くも悪くもないです。そう教えられて、そう思っている事が、先ず問題なんです。エゴは、人生に必要不可欠。エゴは、人生を進み自分への無条件の愛を注ぐっというより、自分=無条件の愛その物(これが人生のゴールだと、私は思っています)になるための、ドリル=課題です。
それで、さっきのミミズから手足が生えるところに戻りますが、つまりこの頃から全員がエゴの芽生えを経験していると考えられるわけです。
キリスト教では、「全ての人が’罪を背負って生まれてきた」となり、東洋医学では生まれたばかりの赤ちゃんでも、その子の心身の健康状態が脈に現われているそうです。
つまり生まれて生きた時には、もう将来どういったエゴをハードルとして人生を学ばなければならないか、課題が与えられているという事です。
そしてもう一つ、エゴ=恐怖感があるのが人間であり、それが当たり前=普通だという事です。