可能性に懸けなければ、何に向かって生きるのだろう?
未来=可能性なのに。
でも沢山の若者たち(私も未だ若者だと思いますが)が、「~したいけど、結果が解らないから・・・・・。」と言い続けて人生に詰まっています。
未来に起こることで、結果の解っている事など在り得ないのだから。
勿論、何でも良いから「清水の舞台から、飛び降りろ」という事ではありません。それなりに、色々準備して時期が来たら、飛び降りるわけです。
その辺はそれまでの経験に基づいて、時期を感じ取らなければならないでしょう。
と言う事は、勿論常に未来に向かって準備しておく必要があります。つまり無駄に手を拱いている暇など、ないという事です。
歳を取ってから不満足な人生に文句を言いながら生きるとか、自分や家族や周囲の人への怒りを溜めたまま生きるとか、死ぬ間際になって「在れもすれば良かった。これもすれば良かった。」と未練たらたら死んでいったり、私には出来ません。
それぐらいなら、今どんなに恐ろしい思いをしても、やってみたい事をやり、知りたい事を知り、試してみたい事を試してみたいのです。一度経験すれば、取り合えず私の好奇心は満足します。
私の人生のテーマである「健康と幸せな人生」に関する事だと、好奇心が好奇心を呼んで、満足する度に、もっと貪欲になってしまう事もありますけどね。
家の旦那も「Try and get it out of your system !」といって背中を押し、清水の舞台から飛び降りるのを手伝ってくれます。亡くなった父も、そうでした。子供の頃から、「やりたい事は全部やってみろ!でも、やるなら一生懸命やらなければ駄目だ。それで駄目なら諦めろ。」と言われてました。
常に可能性を追い、未来に向かって生きていれば、心身共に生き生きし、病気になどなっている暇はないです。何時も適度にエキサイティングでいれば、循環も良いわけで、代謝も良いから歳の割りに若くいられるし、一石二鳥も三鳥にもなります。
これぞ、一事が万事です。(こういう時、日本語ってスゴイ!と思います。)
是非皆さんにも、過去の栄光に浸ってお尻が重くならないように、常に未来に向かって可能性に懸けるドキドキ感を楽しんで欲しいです。 何があっても、大丈夫なのですから。