アメリカのTVコマーシャルには、「炎症や痛みと闘う・・・薬」の宣伝が始終流される。
でも炎症は、自然治癒力の一部である人間の防御システムが働いている結果である。何故、自分の自然治癒力と闘うのだろう?
いわゆるインベーダーである病原菌や微生物が身体に入リ込むと、免疫システムが作動しこのインベーダーを殺す仕組みになっているが、それを超えて菌が繁殖し始めると炎症を起こして、体温を上げ菌を殺す。炎症が起こらなければ、菌は繁殖してしまう。
風邪などで熱が上がる場合も同様で、39度まで上がれば大抵のウィルスや菌は死滅してしまう。40度まで行くと、癌まで死ぬそうだ。
どこからの情報だったか忘れてしまったけど、アフリカで、あの高熱を出すマラリアのための薬だったかワクチンだったかでマラリアは減ったけど、不思な事に癌だ増えたそうだ。
つまり自然の仕組みの一部である人間という存在の、そのまた自然の仕組みである炎症(熱)を人間の脳みそが考える都合で、勝ってに変えてはいけないという事なのだ。
それなのに熱が少しでも上がると、アスピリンやイブプロフェンなどの解熱剤、消炎鎮痛剤で下げようとするのがやたら一般的である。得にアメリカ人は大した事がない時でも、まるでキャンディか何かを、口に放り込むようにタイルノル、アドヴィルなどを良く食べる。私にとっては、アレルギー反応なのかサイドイフェクトなのか、どちらの薬も胃に穴が開いたかと思うほどの腹痛を起こす。高い熱が出て、それだけでもストレスフルなのに、こういった薬を飲んで自己治癒力の邪魔をして、胃や肝臓に負担をかけるのは、どう考えても自殺行為だとしか思えないので、絶対に服用しない。
多くの人が、横に長い1ッ週刊分の薬の入ったピル・ケースを使用しており、その中には常備薬からビタミン剤まで、一緒くたに入っている。そんな風邪通しの悪いところに隣り合わせに化学薬品をいれておいたら、そこですでに化学反応を起こし、すごい毒になっていたりしないのか?私は、心配してしまう。
「自然治癒力」というのは、私たち人間を含める動物の安全に生きるために与えられた防御能力。私たちが、人生を幸せに送るための重要な要素「健康」を維持するための基本的能力なのだ。
自分の能力を信じる事が出来なくて、何を信じるのだろう?自分の一部である能力を信じる事が出来ないなんて、悲劇だ。
こういう薬で自分能力と闘うというのは、いったいどういう事なのか?自分の能力を打消して居る事になる。つまり自分を否定しているわけだ。自分の身体は、ただ休みを必要としているだけなのかもしれないが、そういった自分の身体の声には傾ける耳を持っていないのである。要するに、自分を信じる事が出来ない、自信のない人たちなのである。そして、身体は自分にとって正しい事を機能させているだけなのに聞き入れられず、「駄目だ休んでいては、もっと働けえっ!」とばかりに扱き使われる事になる。例えそれが、くだらないパーティーに行くような都合であってもだ。
人間の物理的社会的「都合」のために、自然は無視され、押さえつけられ、痛めつけられ、粉々にされてしまう。「都合」とは、時間的、金銭的、面子的、社会的合理性。いつも私たちは、誰かの都合のために自分の自然なニーズを曲げさせられるのだ。こうやって私たちは、不本意ながらも自分に不正直に生きる事を強いられる。自分の本質か社会的都合か、勿論どちらを優先するか最終的な選択は自分にあるわけだから、どの辺でバランスを取るかを決めるのを自分のはずなのに。自信のない人間ほど、見栄をはって都合を優先する。
今の時代、親の時間的、金銭的、面子的、社会的な都合で薬やワクチンに頼る事、自分の自然な本質を無視して生きる事を強いられて来た子供たち、つまり自分のサバイバル能力を体感してこなかった人たちは、段々に人生に不満足な自信のない人になってしまうのだ。
アメリカでは、子供が転んで怪我をすると危ないからと言う理由で、子供公園の床がゴムやエクササイズマットのような物で出来ていたりする。これでは、子供は転ぶという事がどういう事なのか学べない。転んで傷ついて、でも自分の力と足で再び立ち上がる。こういった経験や体験が将来人生に躓いたりした時にも役に立つ。転んでもまた立ち上がるといった精神的な強さを養う機会を、わざわざ子供たちから取り上げてしまっているようなものである。
人間の持って生まれた生命を守る能力は、使えば使うほど強くなり、守れば守るほど弱くなる。何故それが解らないのか、私には理解できない。
私は、こういった薬やサプルメントが自分の身体を返って不自由にする事を知ってから、病気の時に医者にいかなくなった。最後に行ったのは10年くらい前、いやもっと前かもしれない。大体子供の頃から、医者の薬を飲むと吐き気がするので、一週間分貰っても1度飲んで止めてしまったり、全く飲まずにほうっておいたりしていた。最近は、歳を取る毎に元気になっていて、ここ数年は風邪もひかない。
1997年頃だったと思う。酷い風邪をひいた事があった。その時は、私もまだこういった自然治癒力と薬の関係についての知識がなかったので、タイルノルを2週間ほど服用した。タイルノルだけが、市販されている消炎鎮痛剤の中でサイドイフェクトを起こさない物だった。その当時ダンサーだった私は、すぐに身体の変化に気づいた。関節や筋肉が堅くなって、思うように動けないのだ。私の当時のピラテスの先生にその事を話すと、タイルノルだけでなくそういう薬は全部同様に身体を堅くすると言う事だった。彼は、アメリカ人ではないので、多分子供の頃自然な環境で育っているのだろう。日本ひいきで弓道をするような精神力の鍛えられた人でもあった。
また、最近では日本に住む母が首が痛くてかかった某有名病院の偉いお医者様が母に宛てて書いた手紙の中に、「・・・首は、・・・・・のような簡単な体操をすれば治ります。それよりも、貴方は沢山の消炎鎮痛剤を服用されているので、骨粗しょう症が心配です。転んだりしないように、気をつけてください。云々。」とあった。お医者様の中にも、良く人間を見ていて、本当の事を正直に教えてくれる人がいるんだっと、感激した。
アメリカでも本を書く事で、真実を静かに訴えている人間が立派なお医者様もいるにはいるのだ。ただ、諸事象から薬漬けの被害者は後を絶たない。(この諸事象については、後で別のブログに書いてみる。)
この二つの事から、こういった消炎鎮痛剤が筋肉や骨の中の柔軟性をサポートするコラーゲンなどを、駄目にしてしまう事が解る。骨粗しょう症は、大抵カルシウムを取るように言われるが、骨の主な構成要素は、カルシウム65%、コラーゲン・メイトリックス35%で、このコラーゲンが骨の柔軟性のもとであるから、コラーゲンに対するカルシウムの比率を上げてしまったら、骨は堅く脆くなりショックでポッキリ折れてしまう。生きている木を想像すれば、簡単である。カルシウムの比率の高い骨は、乾いて堅くなった木。コラーゲンとカルシウムのバランスの取れている木は、若くて柔らかいし、瑞々しくて良くしなる木である。
つまり、消炎鎮痛剤を服用しすぎると身体が老化するという事だ。多分脳も堅くなるだろう。脳梗塞や脳卒中と消炎鎮痛剤の服用の関係を調べてみると面白いかもしれない。脳は100%コレステロール、つまり脂肪。全身のお肌もコレステロール、神経もそうだし、身体の組織のゴムのような柔軟性はこの脂肪分のとり方が鍵だし・・・・・。そして、どうもこういった薬剤は身体の脂肪分を破壊して、身体の機能を老化させるようだ。勿論、身体が自由に動けなければ、心も自由にはならない。
とても興味深い事になってきた。現代人の躁鬱病、自信のなさ、心の不安の一旦を担っているのは、薬剤の使いすぎかもしれない。
しかし、結局こういった薬剤に頼るのかどうかを決めるのは、本人。自信がないから薬に頼るのか、薬に頼るから自信がないのか。鶏が先か、ひよこが先かみたいな。私は、絶対に自分を信じる。自分を信じられないなら、悲しすぎて生きていけない。
医薬品や医学を全面的に否定しているわけではない。交通事故や何かの大怪我の時は、自然治癒力だけでは完治できない。大病をして薬のお陰で、一命を取り留めたりというのは良くある事だ。虫や植物の中には毒をもつものもあり、そういったものにうっかり触れてしまって、毒を中和するのに薬が必要な時だってある。
ただ普段の生活の中で、そんなに薬に頼る必要もなければ、頼りすぎれば返って毒になるという事だ。特に薬で症状を抑える事に、納得がいかない。いつまで症状をおさえ続けるのか?抑え続けていたら、治る事は一生ないという事になる。つまり、残りの人生が何年あるか知らないが、死ぬまで病気なのだ。本当に、それで良いのか?何故、症状の原因を追究しないのか?原因はほとんどの場合、生活習慣病である。つまり生活習慣を変えれば治るという事である。そんなに難しい事ではないのだ。
自分の築いた生活習慣、つまり自分の人生なのだから責任を持って変えて行くのが当たり前だと思う。あるいは、どうあってもそれで自分が満足しているのなら、文句を言ったり、周囲の人に当り散らしたりしない事だ。