「普通は、・・・・。」っという言い方がありますが、私はこれが大嫌いです。何が「普通」で、何が「普通」でないかなんて、誰が決める事ができるのでしょう。
100人100色、同じ人なんていないのですから、「普通は、皆こうで・・・」なんていう事は、あり得ないと思うのです。
私は、普通なんて嫌です。普通の人などになりたいと、誰が思うのでしょう? 私は普通の人になろうなどと、そんなつまらない人生を送りたいなどと思えないのです。
この「普通は・・・・」という言い方を使って、自分を正当化する人というのは自分という特有性に欠けるという事を認めているようなものです。自分がどんなに面白い才能を持っているか知らない、可哀そうな人なのです。皆が違うという事は、皆それぞれに面白い特徴を持っているはずです。その特徴を追求する事は、人生において大切な事だと思います。
「普通は、・・・・」で逃げて、その場をごまかして、自分が何故相手の事を受け入れる事ができないのか、自分のリミットされた部分を追求していないわけです。 この理解できない問題を、理解できないまま、そこから逃げてしまうという事が私には出来ないのです。
例えば、何かお友達との間に問題が起こったりした場合、そのお友達が大切であればあるほど、その問題はどう解決できるのか、何が理解できない原因なのか、とことん話し合うべきだと思います。