日大演劇学科演技コース時代に学んだ、役者になるためのレッスンの一つにこういうのがあった。
「新しい感覚, あるいは感情が自分の中に沸き起こったら、すぐに鏡を見ろ。そして、どんな表情をし、どんなふうに呼吸をし、どんな状態になっているのか観察し、それを記憶の引き出しに仕舞う。舞台でその感覚が必要になった時、すぐ出せるように準備しておく。」というものである。
私は結局役者にはならなかったが、この練習は自分の人生を歩む上で、非常に役に立った。
このエクササイズを練習していて、変な事に気がついた。
自分の怒ったり泣いたりした顔を鏡の中で観察していると、もう一人の自分が自分を見ているのである。
彼女は、私の頭50cmくらい上、右斜め前にいつも位置した。その辺りに、鏡の中に見えない光のようなものが存在するのだ。そしてその光のようなものは確かに私、或いは私の一部なのだ。それはいつも、怒ったり、泣いたり、喜んだりしている私を、落ち着いて楽しんでいるのだ。
その光の存在が私の本質的な意識の存在だったのだと、気が付いたのは私の霊感が開く少し前だったと思う。私の特殊な能力は、自分の大我と小我をセパレートする事ができたのだ。お陰で、’私は自分の小我をトランスフォームする手立てを探る事が出来た。
私の小我が小さくなるにつれ、光のようなものは消えていった。 そしてある時いなくなった。 いなくなったのではなく、大我と小我が一つになったのだ。
自分の本質が何なのか気が付いた時、その光は私の中にあった。
そして、光は少しずつ私の中に溶け込んでいっている。私は、私の本質になりつつある。